恩師に言われたことがある。
「私は嫌な予感助けてもらったことがある」
恩師が努めていた学校で、ある日雨で渡り廊下が濡れていた。
そこを走って通った子が転倒して頭部を打撲した。目撃者はいない。
子どもはわんわんと大きな声で泣いたが、問診・視診・触診をしても緊急に受診をする必要性はなかった。
何人かの先生がその場にいたらしいが、周りの先生もその子の様子をみて大丈夫だと思った。
そして、泣くことにつかれたのか、その子は小さなあくびをひとつして、眠たそうな顔をした。
その瞬間に、恩師は【嫌な予感】がしたらしい。
(このあくびは、意識が低下する前触れではないだろうか?)
そう思った恩師は、すぐに管理職に救急車を要請した。
管理職も周囲の先生も、考えすぎだ。泣き疲れているだけだよといった。
けれど恩師は、明確な根拠は示せないが救急車をよんでくれと何度もいった。
管理職は、そこまで言うのなら…と半信半疑で救急車を要請したらしい。
そして、救急車で運ばれて病院についた途端、その子の症状は急変した。
けいれんをおこし、嘔吐を繰り返した。すぐさま緊急手術となったのだ。
「あの時ね、自分の嫌な予感を信じてよかったと思う。」
恩師は私にそうやって話してくれた。その嫌な予感を感じることができたのは、頭部打撲に対する熱心な勉強・児童の普段の様子と比較した観察力があってのことだと私は思った。
これは、別の定年間際の養護教諭が言っていたことだ。
「養護教諭は1年目でも30年目でも、重症の生徒がやってきたときには同じように専門家として対応しなければならない。けれど、果たして1年目と30年目に同じ対応ができるだろうか?私は運よく、多くの経験を積んでから重症の子の対応を行うことができた。けれど、経験を積む前に重症の子が来ていたら?考えただけでもぞっとした」
恩師はこうも言っていた。
「実はね、私嫌な予感を何回も外したこともあるの」
そして、何回もこんなことで連れてこないでよ…的な雰囲気を看護師・医師から感じ取ったそうだ。
「でもね、やっぱり嫌な予感を私は絶対信じ続けるの。だって、看護師や医師に言われて嫌な思いをするのは私だけだけど、もし子どもに何かあって嫌な思いをするのは、その子どもに関係のある人全員だもの」
と。