大統領の側近でも脳卒中になればすべてを失う国。
フィリピン マニラでのお話。
先日、あるところで21歳の女性と知り合う。
めちゃくちゃ美人というわけではないが、そこはかとなく知的な雰囲気がただよう。
英語が流暢すぎて、フィリピン英語に慣れすぎた私の英語力ではよく聞き取れない。
何回も聞きなおす。
だんだんと親しくなってくるとそのバックグランドがわかってきた。
(これはあくまで本人のいうことだけです。裏はとっていないけれど、そもそもこんなことにウソをついても何の利益もない)
彼女の父親はダバオ市で、かつてNO2(助役!?)を務めた実力者。
その時の市長は現在のドゥテルテ大統領。
当時のドゥテルテ大統領のこともよく知っている様子だった。
若い女の子は大好きだったそうだが、心はとてもやさしくきれいな人だと彼女はいう。
大きな家、各室についたエアコン(フィリピンでは電気代が高いので中流以上でエアコンが各室にあるなんて少ない)。ドライバー セキュリティ メードに囲まれた生活。
ところがある時、父親が脳溢血で倒れた。
かなりの長期間 ICU(集中治療室)にはいっていた。
公務員であったのである程度の保険は使えたようだが、ICUの費用は膨大。
日本のように高額療養費還付で自己負担限度があるわけでもない。
親類縁者の援助もかなりあったそうだが、それでも家を手放し、車を手放し。
今は普通の家にひっそりと暮らしているそうだ。
彼女は生まれて初めて自由にエアコンを使えない生活を経験した。
父親は何度も「私は死ぬべきだった。死ねばすべて失わなくてすんだ」と何度も家族に誤ったそうだ。
現在父親はようやく退院はしたが、在宅治療。
それでも、母親は現在も会計士としてそれなりの収入はある。
彼女は大学のためにマニラ来てひとり暮らしを始めた。
大学の学費を心配しないで、通えるというだけでもまだ彼女は恵まれたほうだ。
半年分の学費とお小遣い54000ペソをもらってマニラ来た。
ところが泥棒に入られて全額が盗まれてしまう。
次の学費は母親が出してはくれるのだが、54000ペソ盗まれたことは言えない。
これ以上、母親に心配はかけられないと彼女はいう。
最終的に彼女が選んだのは夜の世界の仕事。
(KTV. 日本で言えば銀座のクラブみたいなイメージ)
マニラでは大きなお金を稼ぐ唯一の方法だ。
彼女は54000ペソ稼いだら、やめると言っている。
「こんなにもお金に苦労している若い女の子たちがいるなんて。私はまだ幸せだわ。初めて100ペソの価値が分かった」といっていた。
そんな彼女のところにまもなく、妹がダバオから上京してくる。
「妹に会って。家族に会って」と言われている吉村は、果てどうしたらいいのでしょうか(笑)
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