DMM英会話でみる日本人の長時間労働観。
DMM英会話では英文のニュースを使った授業、なにかテーマを選んだ討論などができる。
この中で良く日本の長時間労働が話題にのぼる。
欧州ではEUやEUに近い国々では2週間の連続休暇なんて当たり前の常識であるということも旧ユーゴ圏(セルビア、モンテネグロ、クロアチア)やウクライナ、ロシア、バルト3国などの先生から聞いた生活実感だ。
この先生たちから逆に下記のように質問されることが良くある。
「レッスンで日本の生徒さんの多くは長時間労働であることをよくきく。
でもそれを(日本の文化だ)とか言ってあまり不満に思っていない人が多い。
どうしてなの?
ヨーロッパだったら組合で抗議したりデモ行進したり、自分たちの要求を通すために行動するけれど。」
また、以前、日本の長時間労働をブログにアップしたときに、ヨーロッパの大学で一時留学した方から
「ヨーロッパの大学の学生さんたちに日本人は経済的に豊かなのに、どうして長期間労働を余儀なくされているのと質問されて、うまく答えられなかった」
とコメントを頂いたことがある。
素人なりの分析とコメント
忙しい中で英会話を勉強しようというだから、平均的には日本のサラリーマンでも比較的上層の人たちが多いのだろうと思う。
ちょっと炎上覚悟で、一言で理由を書きます。
「うまく飼いならされているんです」
多くの人は、できたら「2週間自由に休めて、または残業代きちんともらえたらいいなあ」と思ってはいるだろう。
でもそれを「要求」として訴えていくこと、行動していくことなんて遥か彼方の夢ものがたり。
そんなことはいくら願ってもどうにもならない。
実現するための方法もわからない。
今の自分が置かれている現状を「おかしい」と認識したら、必死に働いている自分を自己否定するようで認められない。
また、もっと下の人たち(派遣労働で不安定な就労に置かれている人たち)に比べれば、労働時間が長くても、サービス残業が多くても「彼らよりずっとマシ」と自分を納得させる。
生活保護の不正受給者は現場、第一線で働いている人たちの感覚では0.5%程度と言われている。
生活保護パッシングは年々強くなっている。
そのパッシングの気持ちの一部には「自分がこんなに苦しい思いで毎日働いているのに、こいつらなんだ」という批判者の思いが含まれているのではないだろうか。
一言で言えば、憂さ晴らしパッシング。
(その批判、パッシングの中身自体を良いとか悪いとは今日は、いうつもりはない)
また別の側面では、
かつて日本は大企業とまでいかなくても、そこそこの大学を卒業して会社に勤め、そこで長時間労働、サービス残業も含めて献身すれば、給料も徐々に上がり福利厚生や将来の雇用もそれなりに保証された。
自己犠牲に変わるそれなり見返りが基本的にはあった。
今は、自己犠牲の部分だけ残り、見返りの部分がどんどん削られていっている。
今は、雇用の安定、派遣労働者の待遇改善とかの要求は世論の中にそれなりに強くはある(選挙になれば野党の選挙公約になりやすい)。
一方で長時間労働是正、サービス残業の解消などは、少なくともビラの1枚目や野党党首の第一声に、上げられることはあまりない。
つまり選挙公約にしてもあまり票につながらない(国民の要求がさほど顕在化していない)ことなのだろう。
日本人が連続2週間の長期休暇をだれもが取れる時代、少なくとも私が生きている間に来ることはないだろう。
私のできることなにがあるのだろうか。少し考えている。
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