おはようございます。




いよいよ!!




今日は、R-1の2回戦です!!



私、Eグループなんで、17:30〜18:30の出番だと思われます。




自分にとっては、『鬼門』の2回戦です。




全員、ぶっ潰してやるぞ!!




このヤロー!!




の精神で行って来ます。




さて。さて。




何かね??




この前のR-1の1回戦が、1番最初にR-1に出た時の感覚に似てたんです。




ウケの感じとか、終わってから、スタッフに声かけられて、写真撮って貰ったりとか...




終わった瞬間に、コレ受かったよね??




って、感じ...




R-1のホームページに、『R-1アーカイブ』ってあるんです。



↓↓↓↓



R-1ぐらんぷり公式ホームページ



過去の大会の結果が見れるギャラリーみたいなもんです。




それを見ると...




コンビ時代に出た2005年の大会が初めての出場でした。




その時は、『ピン芸』というのもいまいち??わからず、たまたま、イベントで『ピン芸』をやらなアカンかったから、ネタを作って、それが、評判が良くて、その勢いのままR-1に出たんですけど...





ネタも1本しか無い中で、それが、ビギナーズラック??なのか??




めちゃくちゃウケて...




たまたま観に来ていた、藤原Fオニオさんという、当時、準決勝に行くようなお世話になっている先輩から...




「ミゾエは、コンビよりピンの方が個性出て面白いな!!」





言って頂き、そっから、自分の性格上、コンビが向いてない事が薄々わかっていたし、結果も出て無かったし、コンビに限界を感じてたんで、ピン芸人になりました。





本格的にピンになった当初は、本当に、しんどくて...




物理的に、コンビ時代の倍喋らないといけないからコンビ時代の倍疲れるし、スベッた時の全責任が自分に降りかかってくるんで、コンビ時代の倍めちゃくちゃヘコむし...




1番最初に、ピンでネタやった後、3分ネタだったのに、本当、疲れ果てて楽屋で崩れ落ちました。




「あ、コレ、体力作りから始めなアカンわ...」




思いました。




漫談、コント、フリップ芸、落語、紙切り、マジック、南京玉すだれ...




などなど...




自分に合う『ピン芸』は一体何なのか??




本当、ずっと試行錯誤を繰り返していました。




本当に、悩んだし、苦しみました。




一時期本当、舞台に立つのが怖くなって...




コンタクト外して出たり、ピンネタなのに、芸人仲間と5人でネタやったりもしました。




今考えるとめちゃ恥ずかしいな...




芸人やってる時は、地元に全く帰って無かったんですけど、たまたま、実家に帰った時...




家族に...




「いつまでお笑いやんの?」



言われて、最終的に、兄貴と2人きりになって...



「どんなお笑いやってんの??」



「それは、面白いの??」



「そんなんで、売れるの??」



兄貴とめちゃくちゃ口論になりました。



すると、兄貴から...



「やっぱ無理だ。お母さんから、芸人辞めるように説得する様に言われたけど、やっぱり無理だ。お母さんはお兄ちゃんが説得するから、智仁(私)の納得行くまで、お笑いをやりなさい!!お兄ちゃんは、ずっと応援しているよ!!」




自然と...



ずっと意地を張って、突っ張っていたのに...



自分の心の中の何かが崩れて...



目から大量の涙がこぼれました。



「あ、これは、引き際考えなアカンな!!」



と、思いました。



R-1で準決勝行けなければ芸人を辞めようと思いした。



自分の人生を全てかけるつもりで臨んだ、2007年のR-1...




結果...




見事!!




1回戦敗退!!




目の前が真っ暗になりました。




その後、すぐライブだったんですけど...




周りはみんな合格してたし、本当、悔しくて、悔しくて、しかも、R-1で落ちたネタしか用意して無かったから、袖で、急遽新ネタ作って出たんかな??覚えて無いけど...




ライブもボロボロだったし、終わってから、本当に、泣きました。




『絶望』って奴がそこにありました。




そんな中、先輩に誘われて、2007年の2回戦をたまたま観に行ったんですよ。




ステージもまともに見えないくらい、パンパンにお客さんが入って居て...




立ち見で人の隙間から、舞台を観る感じでした。




そんな中、バカリズムさんが出て来たんです。




当時、大阪での東京芸人差別的なのがあったから、大阪の劇場で、東京の芸人さんが、ウケる事があまり無かった。



でも、バカリズムさんは、ドッカン!!ドッカン!!笑いを取っていて...



「これが、本物のピン芸か!!」




と、思いました。



恐らくその後くらいに、最近、事務所ライブでやっている。シャッフルネタが浮かんだんだと思います。




『辞める』って決めてからのイベント本当調子良かったと思います。




自分の引退に決めた、2007年の3月30日の『ミゾエボンバイエ』っていう主催ライブで、引退したんですけど...




前日の『ボルケーノ』って同期のイベントで、1位を取って、たまたま観に来てたエハラに...




「ミゾエが1番面白かった!!」




言って貰って、前日に1位を取って、当日に、芸人の暴露を沢山するという、最低の漫談をやって...



「芸人辞めさせて貰うわ!!」



で、芸人を辞めました。



R-1は、アマチュアでも出れる大会なんで、どんだけ売れても、どんだけ売れなくても、R-1は出続けよう!!と、決めてたんで、出場してたんですけど...




芸人やってる時は、テレビをほとんど見て無かったんですけど...




恐らく、R-1の決勝すら観て無かったと思います。




芸人辞めてから、テレビ観るようになりました。




うわ!!テレビ面白い!!



思って、沢山、面白い芸人居ると思ったし、芸人を経てからテレビを観ると、学びが多くて...



こりゃー、勉強した方がいいな!!



と、ゼロからお笑いの勉強を始めました。



バラエティを沢山観るようになったし、動画も沢山観るようになったし、R-1のDVDも全部買ったし...



何か??



今考えると頭おかしいんですけど...



『お笑い』の歴史から学びたい!!



と、思って...



ワッハ上方の資料館に行って、本読んだり、映像見たり、エンタツアチャコ師匠のネタを聞いたり、ダイマルラケット師匠、Wコミック師匠、やすきよ師匠、人生幸郎師匠、いとこい師匠などなど、名前の聞いた事ある師匠方のネタを見たり...



さんまさんどんな漫談してたんかな??



思ったり...



立川談志師匠とか、上岡龍太郎師匠とか、島田紳助師匠とか、本読んだり、動画を観たり...



「ほー、ほー、なるほど!!そういう事か!!」



と、めちゃくちゃ勉強になりました。



すると、結果も出て来まして...




芸人をやってた時も、辞めてた時も、東京来て、お笑いを再開した時も、ほぼほぼ9割方...




1回戦は、通過してました。




R-1の最初の頃は、2回戦の次が、準決勝だったりしたんで、中々、準決勝は遠いんですけど...




3回戦へ行ったのが、2013年だったかな??それが、最高成績だったですかね??




それでも、年々、成長してるし、アップデート出来てると思います。




今日のネタは、その、学んだ事の集大成のネタの気がします。




2005年のR-1から、今、2020年。




15年間...




結構、長いよね...




ずっと、R-1の事ばかり考えていました。




子供の頃から、お笑いが好きで...




今も、バカみたいに同じ夢を見ています。




それって、本当、幸せな事だと思います。




今日は、そのR-1への感謝を!!




R-1への愛を伝えて来たいと思います。




ちょっとスタジオ入って会場行って来ます!!




今日も、1日頑張ります!!









♫ずっと夢を見て〜



♫安心してた〜僕は〜



♫Daydream Believer〜



♫ほんで〜



♫フフフ〜



R-1まで、後...8時間ちょい。



行って来ます!!



フフフ♪



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