実家に帰ってから大学は自主退学し、すぐにバイトを始めました。

徐々にご飯も食べれるようになり、落ち着いてきた頃。

最初は心配してくれていた母も、私の病状が良くなるとともに元の母に戻っていきました。

口を開けば私への不満ばかり。

私たちは、一緒にいるとうまくいかない。


ひとりになりたくなかったのと、実家が息苦しかった私は、毎晩のように友達と遊びに出るようになりました。

そして毎晩、毎朝、顔を合わせる度に、母からは私を否定するような言葉ばかり浴びせられました。

この頃から、母へのストレスもあり、私は拒食から過食になりました。

罪悪感を抱えながら食べ、そして食べたことを後悔する毎日でした。


みるみる体重が増え、気づけば50キロに。

このままじゃダメだ!と思いつつも、いつも食べ物のことが頭から離れない。


そうしてたどり着いた先が、過食嘔吐でした。

食べては吐いての繰り返しで、喉から血がでることもありました。

食べたい→食べて後悔→吐く→それでもまた食べたい。

バイト代のほとんどが食費に消えていきました。


この頃の私は、ほとんど寝ていませんでした。


それでも仕事はきちんと行き、なんの問題もなくテキパキこなし、そして夜は友達たちと楽しく過ごす。

今思えば、この状態がまさに躁状態でした。


そして母に連れられ、二度目の心療内科へ。

そこで告げられたのが双極性障害でした。

いわゆる躁鬱病。

躁(そう)
気持ちがハイになり、寝てないのに仕事をテキパキこなせたり、衝動的に買い物をしたりする。



仕事もうまくいき、気分も良く、気持ちが沈んでいた頃と比べて明らかに調子が良かったため、私は躁状態に気づけませんでした。


病院に行ったものの、処方された薬の副作用がしんどく、すぐに服用を辞めてしまいました。


それからもしばらく同じような生活が続き、過食嘔吐を繰り返していました。


私が摂食障害を克服できたことについて、また次の記事で詳しくお話しします。