私には兄が二人いる。

どちらも私にとっては
鬼畜クソ野郎だ。

長男は「暴力」をふるった。

物心ついた時からすでに殴られていた。1番古い記憶は2歳だ。

この頃は子供たちだけで留守番が当たり前で後に離婚する母親と父親は家にあまり帰ってこなかった。

昔は近所付き合いが密だったから平気だと思ったんだろう。
私はいつも白い肌着にパンパンのオムツで兄達も幼かったし幼稚園なり学校に通っていたから、、、
その辺の記憶はさすがにないけど、
2歳の時窓から落ちそうになって隣の人に助けられたこと、
家族で1度食卓を囲んだこと、
火事になったことの
記憶がまあまあある。

火事はわりとはっきり覚えていて、
クリスマスの夜だったと思う。
クリスマスツリーが枕元にあって兄に布団でぐるぐるにされ蹴られたあと疲れて寝てしばらくして兄達がクリスマスケーキに付いてきたローソクに火をつけたのだ。
ローソクの立てようとして布団に落とした。
あっという間に布団は燃えた。
母親も父親も留守だったけど先に母親が帰ってきて火を消そうとしてバタバタしていた。
母は長男に私を連れて逃げて住人に家事を知らせるようにと言っと思う。
私は長男に背負われ外に出た。
兄は住人のドアを叩いて「火事だ」と叫ぶが夜中、4時くらいだったはずだからな、いつの間にか抱っこに。
火事がどうなったかは記憶はないけどうっすら覚えているのは消防士さんに怒鳴られている母親。
泣いてる兄達。
はしゃぐ私。
けっきょく帰らなかった父親。


時は流れて私が保育園に通っている頃はガンガンに暴力振るわれてた。その頃は次男に対する暴力がひどかったのかな。
けれど私には地味に残虐だった記憶がある。
当時缶ジュースと言えばプルタブで開けるとくるんとなるんだけどそれを床に置いて、
「踏むか殴られるかどっちにする」と言われ嫌がるとボコボコに殴られ泣きながら踏んだけど痛くてやめようとしたら「やり直し」と言われ嫌がるとまた殴られて「気付かないふりして歩いてきて思いっきり踏めよ!」と言われ言う通りにする。
くるんとなったプルタブが足裏にくい込んでいく。
形状のせいで抜けない。
痛くて怖くて泣き叫ぶと「痛くない大げさだ」と殴られてプルタブをいっきに抜かれる。
許せない長男。

長男は何かにつけて殴ってきた。
返事が「はい」じゃなかった。
正座をしなかった。
痛いと言った。
殴る時頭や顔を出さなかった。
腕立て100回できなかった。
習っていないところの問題が解けなかった。
寝てしまった。
兄がゲームをしている時に見ていなかった。
ゲーム中応援をしなかった。
ご飯がなかった。

等などと兄にとっては理由なんてなんでもよくてとにかく殴りたかっただけなんだと思う。

大人になった現在長男は独身ひとり暮らし。
結婚するのが怖いらしい。
最近次男に「兄弟の中で1番狂ってる」と言われたらしい。

私にしてみればどっちもどっちだけど。

そして私は兄が県外に就職するまで、多分中学2年生まで毎日殴られ続ける。

一緒に暮らしていたはずなのに長男が就職して家からいなくなっのがいつなのか分からない。
おそらく次男の私に対する暴力が始まったから長男に気が回らなかったのだろうか?

私が家を出るまで次男に殴られるようになった。

この暴力の日々に耐えつつ、
母親の行動も耐え難いもので、
幼かった私を外に連れ出しては置いてくる、置き去りにしようとするのだ。

2歳くらいの時はスーパーの前に置き去り。泣き叫ぶ私を見かねた人達が助けてくれたので何とかその時は家に帰れた。3回くらいやられたが私が道を覚えたのであきらめたみたい。
あとはバスに乗ろうとしてバス停に置き去り、またはバスの中に置き去り未遂。

ほんと今だから許せないと思うけど小さい頃は知らないから母親と出かけるのが怖かった。
あとは保育園にお迎えに来ない。
夜8時半とかでも来ない。
来たかと思えば兄達で帰宅途中で殴られまくる。
兄達も泣きたかっただろうしな。
夜に保育園にお迎え行かされるし真冬だし家から遠いし。
4歳くらいになると明るいうちに保育園をこっそり抜け出して家に帰った。鍵が開いていたりいなかったりで開いていない時は家のまわりで遊んでいた。保育園からきっと色々言われてたはずだけど私は何度も脱走した。
母よ、、、

お迎えが面倒になったのか保育園を休むようになった。
私もその時は保育園に行かなくて済むので安心していた。

それが地獄の始まりだった。

部屋は汚い。
誰もいない。
冬は暖房がない。
夏はあつい。
食べ物がない。
寝ているしかない。

毎日ずっと寝ていた。
どうすることもできないから、
ただただなんにも考えず寝ていた。
寝ていたのか起きる気力体力がなかったのか定かではないけど。
保育園に通っていれば食事はできたかもしれない。

遠足も運動会も弁当なんてなかったけど。

私の家族、親も兄達もみんなが苦しくて辛かったのかもしれない。

そう思えるまで30年くらいかかったけど。