私の親は「毒親」だ。

「ネグレクト」


しかし私も毒親だった。


毒親に育てられたから

毒親になるとは限らない。


けど私は毒親だった。


私は強く家族に憧れた。


幸せな家庭。

幸せな家庭を知らない私の夢。

何となく思ったのは

テレビの中の食卓を囲んで

楽しそうに笑ってる。

それが幸せな家庭。


「自分は親のようにはならない」

「子供をしっかり育てる」

「いつも笑顔で優しい親になる」


私は頑張ったと思う。

いつも綺麗な部屋で家族を迎え

美味しいご飯を作って笑って、


子供が生まれて義理両親と小姑と

地獄のような同居生活が始まった。


堂々と言いがかりをつけてくる

小姑。

姑という地位は絶対という圧力。

姑が絶対という舅。


どっちでもいい。

有利な方に味方する旦那。


姑の小姑の悪口が辛かった。

昔の子育てを主張されて

ウザかった。


舅が面倒も見れないのに

子供を勝手に連れ出すのが

気持ち悪かった。


旦那は笑ってご飯食べて飲みに行って朝帰りして趣味に没頭してすきま時間にゲームをしていた。


子供の風呂は旦那の担当。

これが旦那の「手伝ってる」。


それも姑と小姑と舅がいると

誰かしらと入るようになると

旦那の手伝いはほぼ無くなった。


私は家族が大嫌いだった。

全てが気に食わなかった。


何より自分が1番大嫌いだった。


子供を愛せなかった。

可愛いと思えなかった。


忙しくて頭が回らなくて

疲れて眠れなくてイライラして

頭が割れるように痛くて

毎日頭痛薬を飲んでいた。


暴力も暴言も吐いた。


私は私の親を超えた

「毒親」になった。


私の母は

精神的苦痛はあるけど

暴力はなかった。

まあ母親に会うこともあまりなかったというのもあるけれど。


自分を責める毎日と

泣くまで叩いてしまう自分。

自己嫌悪。

被害妄想。

加害妄想。

すでに病んでいたんだと思う。


パートのお金は自分の支払いに当てて余ったのが食費だった。


旦那の給料は知らないし

聞くと激怒された。

姑と光熱費など払っていたらしいが私には教えてもらえない。

そんなことより食費と献立に私は毎日悩まされていた。

途方に暮れるとはこのことだ。


4時間パート。

時給680円

休みは週1回。


私の支払うもの


携帯電話

自動車保険

医療保険

学資保険

ガソリン代

交際費

子供達の服や文具


残金で1ヶ月の食費をやりくり。

無理である。


その頃は

姑と小姑と小姑の旦那

舅と旦那と子供2人と私。


8人分の献立。

食べ盛り働き盛りもいる。


食費なんてすぐに底を尽きる。

2週間持ちこたえられればいい。

月に1回友達に会うのも苦労する。

「母親が外出なんて」

「金がないなら遊ぶな」

「遊ぶ金を食費にしろ」


色々言われるがまだいい方で

本当に財布が空になった時に

旦那に食費の相談をする時

土下座をしければならない

理由述べて納得させ文句を言われ

ようやく頭上からお札が降ってくる。

投げつけられる時もあるが

心を無にする。

これが月2回から3回。


小姑の子供が生まれた時は

離乳食も作っていた。


これは私の主観だから

違うだろって言われそうだけど

本当に辛かったのは覚えているし

子供に辛い思いをさせたのは事実。


お金が無いのに

ボリューム満点のおかずなんて

、とさぁ子供の明日の準備とか寝る時間とか風呂とか歯磨きとか着替えとか行事とかさ考えること多いのになんで嫁姑問題とか嫁小姑問題とか嫁舅問題とかめんどくせーよ。


子供の頃母親が私を家の外に出さなかっ理由がやっとわかった。


行事に行かなきゃ弁当作らなくていいし、書類も提出しなくていいし勉強道具にお金もかからない。

友達と遊ばなければ「あれ欲しい」とか言わないし服買う必要もないし風呂に入る必要もないし。

お菓子も必要ない。

おもちゃもお金もいらない。


母は綺麗な人だった漫画とかでも毒親って綺麗で愛想が良い人ありがち。彼氏も取っかえ引っ変えで。

大量の服とバッグで埋め尽くされた部屋。母親の大きいベッド。

それ以外の場所はゴミゴミゴミゴミゴミ私もゴミ。


炊飯器を開ければ干からびたご飯か腐ったご飯、棚に腐ったパン、冷蔵庫には干からびた何かだったやつ。干からびだご飯粒を集めていつのか分からない生卵をかけて食べた。

お腹がすいて仕方なかった。

母親がたまに料理をする時は客に食べてもらうため。

本当に気まぐれで私に作ったご飯は次いつ食べられるか分からないので少し食べては隠していた。

笑えるけど隠したことを忘れて腐った鍋が出てきてよく叱られた。

母親は料理をやめた。


私は高校生までまともに風呂に入らなかった。

小さい頃から当たり前だったから。

風呂はいつも水だったし、、、

服がないのでいつも制服で

寝る時も制服だった。

何を食べて生きてきたか記憶がない。

卒業と同時に家を出た。