昨日は、安倍晋三さんの「国葬」が執り行われました。

安倍晋三さんのご冥福をお祈りいたします。

 

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夜は猫のお嬢にニコ何度も何度も起こされるので、日頃から睡眠不足です泣

でもこのところほとんど眠れていないのは、辛い記憶が繰り返し蘇るから。

 

前にも書きましたが、私の母親は毒親です。

手術の前も後も、一切助けてくれませんでした。

助けを望んでいたわけではありませんが、5月〜7月 特に7月はゴリの仕事が超多忙で、帰宅するのも23時は当たり前で、出張も多々ありました。

 

車椅子移動の私は、自分の感情を押し殺して5月に毒母に “検査時の同行” を頼みましたが、キッパリと断られました。酷い暴言を吐かれました。

 

私と弟は仲が悪いわけではないものの、年に数えるほどメールで「元気?」と連絡を取るくらいでした。

母は溺愛している弟に(弟は毒母を拒絶している)、「(私が)近いうちに死ぬ」「病気の説明されても意味がわからないけど、長くはないと思うから覚悟しておいて」「苦しんでいるお母さんを助けて欲しい」だの言う始末。

弟には色々とはっきりしてから報告するつもりだったのに、中途半端に適当な事を言う毒母に怒りが湧きましたムキー

でもそのお陰と言うのも変ですが、5月〜6月は検査の為に病院へ行く回数が頻繁になる中、弟は仕事中に時間をやり繰りして病院への送り迎えを何度かしてくれましたし、「いつでも声掛けてな」と言ってくれてありがたかったです。

 

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コロナ禍で病院の規制は厳しく、術前も術後も面会は全面禁止、病棟から出るのは検査時のみ。一階にあるコンビニやタリーズへも行く事は禁止されていました。

(私は元々車椅子で、まだ自身で遠くまで行けない初心者だったので、どちらにしろ行く事は不可能でしたが)

 

口を開くのは、医師や看護師さんとの挨拶や、排便や排尿の回数などの質問に答えたりするくらい。

シャワーを浴びる事が出来ない私の髪を洗ってくれた、よくお話しした看護師さんもいましたが、当然毎日担当は変わるので毎日会えるわけではなくショボーン

 

私は不安と孤独で毎日タオルに顔を埋めて泣いていました泣

個室とは言えいつ誰が来るかわからないので、バレないように短時間だけ何度も何度も泣いていました。

 

ゴリは週末の仕事の隙間やテレワークを活用して、超多忙な中 洗濯物を届けてくれていましたし、かなり疲れているはずなのに最大限に助けてくれていました。

だからこちらから電話なんて出来なかったショボーン

病理検査の結果が出て「膵臓がん2b」と主治医に病室で告げられた時も、LINEのメッセージで報告しました。

ただ一度だけ電話したのは、“退院の日の相談” のみ。

 

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身体も心も苦しくて辛くて、孤独でどうにかなりそうな時に、安倍元首相の事件が起きました。

病棟はFree Wi-FiでiPadも持ち込んでいましたが、ネットは当然その話題で埋め尽くされ、テレビさえ特番を組んだり、そのニュースを繰り返し報じていました。

私は「今の私がこれに飲まれてしまうと、確実に精神を病んでしまう」と思い、ネットもテレビも見るのをやめました。孤独は更に増しました。

 

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そして私は退院し日々は過ぎ、「国葬」が決まりました。

数日前からはニュースもその話題中心で、心がざわざわしました。

昨日国葬が行われましたが特番があったり、その話題が溢れていました。

否応なしになだれ込んでくる情報は、自分でシャットアウトするしかありません。

想像はしていたので、テレビのニュースは見ないようにし、ネットもアメブロ以外は敢えて避けました。

 

「国葬」に対しての、賛否を言っているのではありません。

あの事件は私の “辛く苦しい日々” とリンクしてしまうのですダウン

それは私の弱さ故だと思いますショボーン

でもまだ私の中では、手術も入院していた日々も “生々しい” のですえーん

だからずっと眠れない日々が続きました。 

 

今まで自分の心の中に押しとどめていましたが、ここで吐き出してしまいました。

不快な思いをされた方がいらしたら、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

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