「僕は、癌だと確信している。」と主治医に告げられた日。
私もゴリも帰宅して“その事”に触れませんでした。
私は何も食べたくないし、お風呂も入りたくない。
ゴリは元々、重い話しが苦手なのでこういう時は話しができません。
とにかく“テレビから笑い声が聞こえるリビング”から、一刻も早く出たくて寝室に行きました。
部屋着に着替えて自分のベッドに仰向けになり、深呼吸をしてからこの日の診察時に録音した内容をイヤホンをつけて聞きました。(録音は医師の許可を得ています)
録音を聞くと、再発とか転移とかのリスクではなく、“私の足が悪いから、術中・術後に病院から出る事なく死ぬ可能性”ばかり繰り返されていました。
当然「頑張りましょう」みたいな言葉は一切なく、我が家の事情でサポートがゴリひとりである事も不満気。
私の言葉も2〜3度遮られており、終始医師のペースで“マニュアル通りスムーズに進められた説明”でした。
医師としてリスクを説明するのはとても重要だと思いますが、同時に丁寧な説明が必要だと思います。
「治す」とか「必ず」なんて言葉は要らない。
でも初対面だからこそ、せめて表向きだけでも、一言だけでも、患者に寄り添う素振りをして欲しかった。
「この人に自分の命を任せるのは嫌だ」と強く強く思ったので、ゴリが寝室に来て少ししてから切り出しました。
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「私は手術はしないって決めたよ。
まだ一度しか話していない、あの信頼出来そうもない外科医に私は命を預けられない。
次に、2度目にあの医師に会うのは手術の直前か、私が生きてたら終わった後だよ?
大変な手術なのに“切ったら終わり”じゃなくて、全然先が見えなくて怯えて生きて行くのは嫌だ。
足の手術をして歩けるようになるはずだったのに、スーパーにひとりで買い物に行けるはずだったのに、足が良くなったら美味しいものを食べに行こうって、花火も行こうって、たくさん約束したのに…。
このまま歩けないで死んでいくなら、わざわざ手術をする意味が無いから手術はしない。」
ゴリに背中を向けて、決して泣かないように、自分の服をギュッと握りしめて、ゆっくりゆっくりと、実際にはもっと長く話したかもしれません。
少しの沈黙の後、小さな声で
ゴリ「せっかく早期に発見されたんだから、そんな事言わないで。」
私「もし手術しても、その後はきっと抗がん剤治療があるし、定期的に検査も受けなくちゃいけないと思うの。4月から時間もお金も使って来たけど、ここからまた始めてしまったらまだ時間とお金がかかるんだよ。
あなたにだけ負担がかかるのは嫌だ。もう充分してもらったから、これ以上迷惑かけたくないよ。
私には子供もいないし、親はあんな人だから私が死んでも悲しむ人も困る人もいない。
やめるなら早い方がいいから、やめる事にする。」
ゴリ「嫌だよ。俺が困る。俺が悲しい。」
涙声でした。ゴリは私の前で泣いた事はありません。
とても驚いた私は、カバっと体を起こしました。
ゴリも私に背中を向けていましたが、私の方に向き直って体を起こし
ゴリ「迷惑だなんて思った事ないよ。時間もお金も何とかなるし、全部俺が何とかする。
あと、俺から見ると“何でそこまで?”と思うくらい尽くして来たんだから、お母さんとはもう完全に縁を切ろうよ。
足の手術が後回しになったのは、悔しくて辛いだろうけど、この手術を受けないと足の手術も無いんだよ。
行きたい所はたくさんあるよ。でも特別な所へ行けなくても、もっともっと一緒にいたいよ。」
鼻をすすりながらそう言ってくれました。
私はゴリの気持ちを全く考えずに酷い事を言ってしまった事を後悔して、謝りました。
でも既に決まっていたのに“足の手術が出来るという希望”を失い、私の中にはただ絶望感しかなかったのです。
前向きな気持ちにはなれず、モヤモヤとした気持ちのまま眠れずに朝を迎えました。
会話の内容は録音していたわけではないので、私の頭の中にある大まかなものです。
実際にはもっと話しました。
何事にも流される私なので、結局は翌日の土曜とその次の日の日曜に入院準備をして、予定通り入院して手術を受けましたが、この時の事を残しておきたくて書いています。