チームプレーという名の馴れ合いプレー。
なんで悔しいの??
なんで悔しくないの??
なんで悔しいという感情があるの??

悔しい時ってどんな時??
悔しくない時ってどんな時??

悔しいという感情を持つことによって人間の行動に変化は生まれるか。

長所と短所。

悔しいという感情で引き寄せられてくる思考。

悔しいという感情から人間の心理というものを考えていきたい。

その前にまず一眠りだぬ。
そういえば今日電車の中で赤ちゃん泣いてたな。
あれはきっと苦痛からの涙だよな。
感動からの涙ではないよな。
感動からの涙っていつから出るもんなんだろう。


ってかなんで涙を出すんだろう。
落ち着かせる為にだっけ??

なんで悔しい時に涙??嬉しい時に涙??涙、涙、涙さん。


涙一つとってもとっても不思議だぬ。
この世は必ずしもハッピーエンドではない。

それでも生きていてよかったと言いたいんだお。

ゲームとコンピュータでの会話をどんどんし、面と向かっての対話をどんどん減らせば、どんどん人をゲームのコマみたく扱っていくのかもな。


最近ニュースのコメントとか読んじゃってるんだけど、もうなんか人をゲーム中のコマのように扱ってるよな。あたかも自分でデザイン出来るかのように。

もう現実感を伴ってないというか、俺を含めてかもしれないけど、メディアの人物=ゲームのキャラクターになっていってるのかもな。
これがどんどん酷い方向にいけば、人=ゲーム中のコマになるお。
自分が感じていることを表現せずに、正解である表現を探し、表現する。
ワタシの奥深くにある感情を偽りなく感じろうとすれば、ワタシは自分に対して目を覆いたくなるのです。

けれども実のところ、そのような感情を自分が苦しまないように解釈して、都合よく処理してしまっているので、目を覆わなくすんでいるのです。
ボクは使い捨てカメラ。
レジの前に置いてあるカメラ。
いっぱい人が通る。
いっぱい人が通るけど、誰も手に取らないカメラ。
あ、人の手がきた。
と、思ったら隣のいけているカメラ。
いつのまにかにもう人はいなくなって、まだまだ暗闇の中。

ボクは使い捨てカメラ。
誰かがボクを使ってくれている。
頑張ってあなたが取りたい風景を撮るよ。
パシャ、パシャ。
ジッ、ジッ、パシャ…
ジッ、ジッ、ジッ、ジッ…なんかパシャがもう言えなくなったみたい。
ご主人様はボクが撮った写真を取って、ボクはゴミ箱の中。
用が終わったら、捨てられるカメラ。
ボクは使い捨てカメラ。
不安と因果関係。
ああすればこうなる、ああはこうだと、どの程度言えるかによって不安量は異なりゆく。
未来がなければ不安という感情は生まれてこずか。
未来が不安を生みだす。
不安を感じるとき、それはすべて未来に関わっていないか。
不確実な未来。
不確実なものに不安。