自分が造り上げた他者に悩む。
他者はこう思っているだろう。
いや、その他者は自己が造り上げている。
想像している他者とは実の所は自己だ。
他者はこう思っているだろう。
否、自分ならこう思っているだろうだ。この自己を他者としている。
他者は他者であって決して自己ではない。
他者はこう思っているだろう。
いや、その他者は自己が造り上げている。
想像している他者とは実の所は自己だ。
他者はこう思っているだろう。
否、自分ならこう思っているだろうだ。この自己を他者としている。
他者は他者であって決して自己ではない。
フロム
どんな行動でも生産的で自発的なものであれば、本を読んだり、景色をながめたり、友人と話したりなどしていると、わたくし自身のうちになにかが起こる。こういう経験をした後では、以前のわたくしとは同じではない。だが疎外された型の楽しみではわたくしのうちになにも起こらない。あれこれと消費したには違いないのだが、わたくし自身の内になにも変化が起こらず、残っているのはただなにかやったという記憶だけである。
どんな行動でも生産的で自発的なものであれば、本を読んだり、景色をながめたり、友人と話したりなどしていると、わたくし自身のうちになにかが起こる。こういう経験をした後では、以前のわたくしとは同じではない。だが疎外された型の楽しみではわたくしのうちになにも起こらない。あれこれと消費したには違いないのだが、わたくし自身の内になにも変化が起こらず、残っているのはただなにかやったという記憶だけである。
患者は治療の自己決定権を持ったことにより、治療を自分のライフスタイルに合わせて治療を選択することができるようになった。しかし治療に関しての知識を持つのは医療人であり、その治療の選択の良し悪しがわかるのも医療人であるからして、医療人が患者のライフスタイルに合わせて治療をアレンジしていくことが求められる。その為のインファームド・コンセントである。