自分で何かを見つけてそれを証明していくのが学問の柱だと言った。ので、ここでちょっと考えたこと。
証明していくのには色々な材料が必要だ。
結論が分かっていれば材料に何が必要なのかが前もってわかる。
けど、結論が分からない場合には何が材料になるのか分からない。
いわば何を証明するのかによって材料が異なってくる。
今自分の人生は何を証明したらいいのか分からない状況だとする。
すると何が証明するのに必要な材料(=体験した事、学んだ事etc)なのか分からない状況だ。が、しかし何かを見つけて証明していく際に、必要になってくるのは自分の中にある材料であり、その際にあの材料が今ここの部分でこの証明の為に役立つ、必要なのかという事がわかるのである。
つまり何を証明するかによって材料は異なってくるのだから今、自分が体験してる、学んでるあらゆる事は一見無駄に見えても、将来に何かを証明するにあたって、必要とされたり、必要とされない可能性を持っているということだ。
まぁ、何が言いたいのかっていうと、過去にやってきた事は単に過ぎさった物事ではなくて、自分の何かの証明となる材料になるという可能性を持つことと、今自分がやってる価値なさそうに見える事は、色んな物と組み合わさって価値ある物に変化する可能性を持っているということだ。
という事をとても暇なので考えてみた(´ω`)
正しいかそうじゃないかはまだいいや。大学卒業ぐらいまでは自由に生活してこうと思ったしだいだ。
まぁ自由であるために考えた内容なのかもなー(´ψψ`)
証明していくのには色々な材料が必要だ。
結論が分かっていれば材料に何が必要なのかが前もってわかる。
けど、結論が分からない場合には何が材料になるのか分からない。
いわば何を証明するのかによって材料が異なってくる。
今自分の人生は何を証明したらいいのか分からない状況だとする。
すると何が証明するのに必要な材料(=体験した事、学んだ事etc)なのか分からない状況だ。が、しかし何かを見つけて証明していく際に、必要になってくるのは自分の中にある材料であり、その際にあの材料が今ここの部分でこの証明の為に役立つ、必要なのかという事がわかるのである。
つまり何を証明するかによって材料は異なってくるのだから今、自分が体験してる、学んでるあらゆる事は一見無駄に見えても、将来に何かを証明するにあたって、必要とされたり、必要とされない可能性を持っているということだ。
まぁ、何が言いたいのかっていうと、過去にやってきた事は単に過ぎさった物事ではなくて、自分の何かの証明となる材料になるという可能性を持つことと、今自分がやってる価値なさそうに見える事は、色んな物と組み合わさって価値ある物に変化する可能性を持っているということだ。
という事をとても暇なので考えてみた(´ω`)
正しいかそうじゃないかはまだいいや。大学卒業ぐらいまでは自由に生活してこうと思ったしだいだ。
まぁ自由であるために考えた内容なのかもなー(´ψψ`)