私にとって人間的なもので無縁なものはない -6ページ目

私は嫌である! (゚д゚)/



「共謀罪」成立 東京新聞号外

「共謀罪」、強行採決。

https://youtu.be/G9kQz8udjvg


一言いいたい

 「歴史は繰り返す」と人は言う。しかし、人間が作る社会の歴史は単純な繰り返しではない。微視的現象としてはよく似ている事象も、巨視的にはより次元の高い高度な内容になっている。
 治安維持法が成立した1925年と共謀罪が成立した2017年では歴史の発展、社会的技術的科学的発展が格段に違う。現在のもっとも大きい重要な点は戦後70年に及ぶ民主主義の経験である。
 私たちの歴史的認識は戦後民主主義の経験を無かったものにできるのか?
 認識というものは事物が鏡に映るような単純で受動的な反映ではなくて、実践によって本質をを明らかにする。そして、歴史的な実践によって絶えず豊かにされていく能動的で発展的な過程である。認識が対象である実在と一致する場合を真理というのである。しかし、認識は歴史的で社会的な諸条件によって制約を受けるため、歴史の発展とともにより深く、より全面的な真理の認識へと発展するのである。
 現在の政治の中枢を握っているとされる日本会議を中心とする諸勢力はこのことを理解していない。
 人間における心理的現象は主体が外界に対する意識的で変革的な実践を行いながら、外界の事物や事象のの本質を自らの中で屈折して反映する過程である。
 憲政史上最悪な安倍政権の本質を利害関係にないほとんどの有権者が見抜いた時、歴史的な制裁を受けるのは必然だと確信したい。
 
 西谷修氏は共謀罪が成立したあと廃棄されるのは次の終戦の時になると語ったが、私たちはその破滅的な時を座して待つしかないのか?
 私は嫌である!
 安倍内閣を打倒することだけでは極めて不十分である。自民・公明その他、非立憲的諸勢力を少数派に追い込み、立憲勢力が国会で多数を占めて、特定秘密保護法や戦争法、共謀罪、その他など違憲立法を廃棄しなければいけない。さらに、政治のあり方を歪める、小選挙区制の廃止、企業・団体献金の禁止、政党助成金を廃止させなくてはいけない。



共謀罪強行成立記念! 安倍政権の暴挙を忘れないために振り返る「共謀罪トンデモ答弁・暴言録」
(リテラ)2017.06.15
http://lite-ra.com/2017/06/post-3245.html



「がんばろう」

https://youtu.be/enb15Bzyt3o



ナチスの手口に学んだらどうかね

ヒトラーと類似化していると言われる安倍晋三


Als die Nazis die Kommunisten holten..
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

「その建物(死体焼却炉)の前に1本の木が立っていて、そこに白く塗った板がかけてあり、黒い字で何やら書いてありました。

Konzentrationslager Dachau
Baracke X

この板は、ダッハウで生き残り、最後にアメリカ兵によって発見・救出された囚人たちの、いわば最後の挨拶のようなものだったのです。つまり、彼らが、先に死んでいった仲間のために書いた挨拶です。こう読めました。
『1933年から 1945年までの間に、23万8765名の人々がここで焼かれた』。

KZ Dachau

それを読んだとき、妻が失神しそうになってわたしの腕に中に沈み、ガタガタ震えているのにわたしは気がつきました。わたしは彼女を支えてやらなければなりませんでしたが、同時に冷雨のようなものがわたしの背すじを走るのを覚えました。妻が気分が悪くなったのは、25万人近くという数字を読んだためだと思います。この数字は、わたしにはどうということはなかった。

Konzentrationslager Dachau

 わたしはもう知っていましたから。その時わたしを冷たく戦慄させたものはいくらか別のこと、つまり『1933年から 1945年まで』という2つの数字だったのです。…1937年の 7月 1日から 1945年の半ばまでは、わたしにはアリバイがあります(注・その間彼は捕えられていた)。しかし、そこには『1933年から』と書いてある。…1937年の半ばから、戦争の終わりまでは、お前にはなるほどアリバイがある。だが、お前は問われているのだ。『1933年から 37年の 7月まで、お前はどこにいたのか?』と。そしてわたしは、この問からもう逃れることはできませんでした。1933年には、わたしは自由な人間だったのです…

歓声を上げる解放されたダッハウ強制収容所の囚人
アメリカ軍に歓声を上げる解放されたダッハウ強制収容所の囚人

ナチスがコミュニストを弾圧したとき、私はとても不安だった。が、コミュニストではなかったから、何の行動も私は行わなかった。その次、ナチスはソシアリストを弾圧した。私はソシアリストではないので、何の抗議もしなかった。それから、ナチスは学生・新聞・ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げて行き、その度に私の不安は増大した。が、それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧して来た。そして私は牧師だった。が、もうその時はすべてがあまりにも遅すぎた。


ナチスに責任を押しつけるだけでは十分ではない。教会も自らの罪を告白しなければなりません。もし教会が、本当に信仰に生きるキリスト者から成り立っていたならば、ナチスはあれほどの不正を行うことができたでしょうか…

マルティン・ニーメラー
Else and Martin Niemöller in 1961
Else and Martin Niemöller in 1961