次女と厄払いに行く事になった。何故か急に行って来なければとなった。
次女もまもなく結婚する予定なのだが東京での同棲生活に少し狂いが生じこちらに来て半月になる。なんとか修正したようで10日後には戻る予定となっている。
確かお雛様をいつ終うかを悩んでいたり、「出してあげないと化けて出てくる」等と母が言ったりしたあたりにそう思わせたのかもしれない。お寺といっても特にわからないので祖父母達が眠るお寺しか思い付かずそちらに行く事となった。

「特に何という訳ではないのだけど来ました。しいて言えば変な病になった事ぐらいです」
和尚様と奥様にお茶をいただきながら、「線維筋痛症です」と告げるとご子息が医師であるからなのか直ぐに伝わったようであった。

次女と二人で並んで座りお経を詠んでいただいていると頭がすっかりほんわかとして意識がどこか遠くに行くような心地よい気持ちになる。
厄払いをしてもらっているのだから時には荒々しい和尚様の声や動きになっているのだが何故か気分が和らいだ。本当にけしからん話しだ。

例えるとするならば、ホットヨガの終わりに聞こえているようでよくは聞こえていない先生の声、汗だくの身体で横たわる瞑想の時間のような感じだ。

心なしか痛みも楽になったような、心の痛みが楽になっていくような不思議な感覚だった。
本当に失礼な事だがテラピーだ。


不思議な事は始まりからだった。

お茶をいただく前に、
お布施はわたしと次女は別々ののし袋に入れて和尚様にお渡しした。
次女は同棲してはいるがまだ結婚はしていないので名字は勿論わたしと同じに書いてある。

しかし和尚様は
「〇〇さんと●●さんですね」
告げてもいないまもなく結婚しようとしている次女の相手の●●という名字をさらりと言ったのである。

あまりにも自然に言われるものだからわたしも次女も驚くというよりも全てを見透かされているようでまるで魔法にかけられたように本堂までの廊下を歩いたような気がする。