さそり座満月の朝、さわやかです
アー眠っ
天中殺月間が終了したと同時に、ガツーンと脳天を貫く衝撃的な学びがあり、
それに伴う私自身の今後について、ある決意をしました。
とは言っても、見た目には変わらないでしょう。
すぐには。
数か月(下手したら年末まで)かけて、
進化
すると決めました。
それにあたり、かける覚悟と費用が結構な値
ビビりまくり、怯えまくりでビビディバビディブー
まずやった事。。。
熟成の進んだワインの澱のように底にたまっていて、感情が揺れると浮き上がってきて、
ざらついて不快で、悲しさと不安感に繋がっていた
過去の自分を手放すこと。
私、かなーりのコンプレックスまみれでした。
まず病弱
扁桃腺肥大でしゅっちゅう熱をだし、引っ越しもあって、幼稚園は卒園を待たずして終了
小学校1年の時は年間50日病欠。
2年生の時にその元凶の扁桃腺摘出に踏み切るも、術後の治りが悪く3週間に及ぶ入院で夏休みの大半台無し
5年生で虫垂炎(いわゆる盲腸ね)。
2回散らすもむなしく夏休みの再発で摘出手術。
またもや夏休みの大半が静養で終わる
こんな調子なので成績はいたって普通。なんとか普通
病気がちって、エネルギーが減退してる状態だから明るくもなれない。
加えて4歳下と8歳下のビミョーな年の差兄弟の世話に祖母の介護で
てんてこ舞いな母に、長女としての過剰な期待を寄せられ、子供らしさ封印
まーいろいろこじらせてました
四柱推命の自分の命式見るとよくわかるんだけど、
自由に趣味の事とか好きな事を謳歌したい欲求が強い星の上に
「正財」っていう真面目ーな星が蓋をしてるので、
その真逆な感じは、体調の不安定さで負のループまっしぐら
でもって、眉毛がすっごく薄いので(笑)お化粧なんてしない子供の頃の
顔ったら、小さ目とおちょぼ口とセットで、ついたあだ名が
あんまん
中学になると同じ年のアイドルとか出始めて、
(菊池桃子とか、荻野目洋子とか)
はっきり顔立ちのくっきり二重とか、可愛い顔ではない自分の顔のコンプレックスも絶好調に
当時、歯の矯正もやってて、ニッコリ笑う事も嫌だった
私の成績表を見ては「雅恵の学校には③しかないのか」とため息をつく父。
占い師の母は私の命式見て「意外と大した事ないわね」と一言。チーん
(四柱推命用語、「劫財ー帝旺×2」の母)
で、親の言葉の呪いにかかった(と思い込ませて)言い訳にしてました。
更にはそのころ、父の会社がもう何年も危うくて、父と母が夜中に大声で喧嘩するのも
日常茶飯事になっていて、耳を塞いで寝る日々。
贅沢もさせてもらっていたけど、怖い声を出すおじさんが父に借金返せと迫る光景も目にして、怯えたことも何度もありました。
何か新しいことやろうとすると、そのチャレンジが大きければ大きいほど、
子供時代のこうしたコンプレックスが疼きだし、自分に自信がなくなるのです。
「私にできるのかな」って。。。。
なまじプライドも高いものだから、失敗した自分を見られるのもイヤ。
(自意識過剰)
失敗もしてないのに。やってもいないのに。
高校くらいからは、そんな自分にかなり見切りをつけて、だいぶ変わりました。
私人生第一転換期
私、本当はかなりの欲張りなので、負の側面だけ見てる人生は15歳くらいで
とっくに飽きてしまっていたのです。
高校2年の時には、大喧嘩しながらも夫婦関係を意味なく続けていた母に、
父との離婚を決断させ、世の中のバブルにうまく乗っかり、
高校卒業と同時にオーストラリア留学にも行きました。
すべては解釈次第。
受け取り方次第。
この後も、もう言葉に綴るのも憚られるダークサイド
(初回のブログでやけに人気の(笑))があったのですが、
結局、乗り越えられてる。
人生のテーマは『大笑い』
笑うためなら変化は簡単
欲張りな自分を認めたら進化が楽しみ