ここ数日、私の涙腺は崩壊してる。。。

先月末くらいに、本当に光を失ってしまったパパちん。
そこからどんどん身体には異変が起こり、めまい、貧血、難聴、耳鳴りetc
きっと本人が自覚している以上に、失明はショックだったんだろうな。

そして、寝ぼけているのかなんなのか、訳の分からないことを言い始める。
幼児化したように、私を呼ぶ。
返事しているのに、聴こえてないから何度も何度も繰り返し呼び続ける。
隣に座って、肩叩いて「なぁに?」と聞くと、一呼吸して「えっ?」って聞き返してくる。
いやいや、呼んだのそっちじゃん(泣)ってなる。
何か話しても、一呼吸して「えっ?」って聞いてくる。
だんだんイライラする。

眼が見えなくなってからは、ほとんど眼を閉じている。その瞑った眼のまま、何度も何度も何度も聞いてくる「えっ?」がたまらなく辛くて悲しくて、、、
でも目の前で嗚咽が出るほど号泣していても、もう気付いてくれない。
だんだん耐えきれなくて、のび太か⁈ってくらいワンワンと大号泣したら、パパちんが久々にまともな言い方で「泣かないの…。おいで」って言ってくる。それがまた悲しくて抱きついてワンワン泣いた。こんな泣き方、いつぶりだろう?ってくらいに泣いた。
そしてパパちんが「パパが思うにね、、、」って話し始めたからやっとパパちんの気持ちが聞けるのかな、、、ってなった矢先に、話し出した内容は全く関係のない、意味のわからないモノで、それもいつものように途中で力尽きたように眠り出した。


眼が見えてないから明かりも必要ない。
聴こえてないから大好きだったテレビもついてても意味がない。

そんなパパちんの隣でテレビを観ることにすら罪悪感を感じてしまう。
目眩で起き上がれないパパちんの横で、食べたいものを食べることにも罪悪感。
自由に動き回るのも、買い物に行くことも、何もかもに罪悪感を感じてしまう。

だから一緒に明かりも点けず、テレビも観ず、ただ眠っているパパちんの側にいるだけ。

寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい。

だけど、眠っていてくれるとホッとしてしまう自分がいる。
そしてその感情にまた罪悪感を抱く。
先の見えない無限ループだ。


そんなパパちんが昨日、入院しました。

身体に力が入らず、自力で立てなくなったので、私だけでは透析に連れて行くことすら出来なかったからです。
簡単に結果から言えば、貧血の数値がすごく悪く、症状の全てではないが、殆どが貧血からきているのではないか、、、?とのこと。
ただ、昨日一度目の輸血をしたけれど、若干の改善はみられるものの想定していた程ではなかったとか⁇
だとすればやっぱり身体のどこかで出血している悪い箇所があるんじゃないかということで、本日は胃カメラを実施。だけど異常ない。
大腸カメラは透析との兼ね合いもあるので時期を見てということになりまして、結局は原因はわからず、、、という感じでした。

でも正直入院してくれてホッとしている自分がいて、周りの人たちみんな、友人も身内も、みんなが私に「この機会にゆっくり休め」と言ってくれる。ありがたい。
確かに自由な時間は多少増える。
とにかく常に気にして見ていないといけない時間が減るから、気が休まる。
だけどもまた、そこで罪悪感が生まれる。

だって今までは携帯持っていたから、離れていても連絡はとれていたけれど、現在、一人で携帯をかけることが出来ないから置いておいても仕方ないし、そんな中で、一人でテレビも自由に観れない、下手すりゃナースコールさえまともに押せないかもしれないとか考えてしまうと、一人で広々としたお部屋でくつろぎながらテレビを観ることすら申し訳なくなる。


そして主治医の心無い一言に私はとうとう箍が外れてしまったんだ、、、
医者の言うことは正論だ。
正論だと思うけど言い方なんだ。

あんなに公の場で泣き叫んだのはいつ以来だろう。。。
大人になってからは記憶がない。

誰と話をしても、一人でいても、パパちんといても、ふと涙が出てしまう。
「もう疲れた、、、」ってセリフが口癖のように出てくる。



世の中には、私なんかよりもっともっともっともっと頑張って、ちゃんと看病している人が沢山いるのに、私なんてまだまだ自分の事のが大事なんじゃんって。



これが介護鬱なんだろうか、、、?

鬱と言う言葉に逃げてる気がしてしまう。