ずいぶんと放置していたブログ(笑)ですが、また日記代わりにパパの闘病記録を残す為に再開してみようと思います✨



今年の6月の終わりに、二人の地元である上越市に帰って来ました‼️

振り返ると、二人で上京したのがたしか18年前だったと思います。
そして約2年後、新宿歌舞伎町で商売を始めました。
今思えば、本当に本当に色々な事がありました。
楽しかった事も嬉しかった事もあったけれど、後半はほとんどが裏切りと失望に苦しんだ日々だった気がします。
結果、、、私は、
人嫌いになりました。
人間不信になりました。

16年位前からパパ(旦那様)の糖尿病による合併症にずいぶんと振り回され始めました。
些細な潰瘍から始まり、14年前には不注意による足の低温火傷。この時は初めて手術してみるまで切断かどうなるかわからないと言われましたが、指2本切断するだけで済みました。。。
12年前には危機感なく放置して悪化した糖尿病からくる眼の病気諸々。失明の危機を感じてからの数年間、両眼合わせて十数回手術しましたが、今では左眼はほぼ失明。右眼もほとんど見えてない状態です。
その後も足裏に潰瘍が出来て、その潰瘍が治るまでに6年くらい掛かりました。前回の低温火傷の時は、私は傷口が気持ち悪くて直視出来ず、触ることすら出来ませんでしたが、この頃から自宅での処置は私が担当する事になり、傷がヤバいか大丈夫かの判断もある程度は出来るようになりました。
そして手術を繰り返した影響からなのか、8年弱くらい前から腎臓の数値が急激に悪くなりました。しばらく投薬と食事療法をして様子を見ましたが、体重は浮腫で30キロ近くも増え、関節も何もなくなるくらいパンパンになり、7年前から人工透析を開始する事になりました。透析後、体重は20キロくらい減りました!
潰瘍も治療中だった為、皮膚移植を何度か挑戦したり、悪影響を及ぼしてる骨を切除したりで何度か入退院も繰り返しました。
やがて、やっと足裏の潰瘍が完治して週3日の透析以外は各科月1回程度の通院で落ち着いていたのですが、わずか1年も経たないウチに事件が起きました。
大袈裟かもしれないけどまさかこんな事になるとは思いもしなかったミスを透析病院の看護師だかヘルパーさんだかにされたのです。
両足踵に負った低温火傷を発見したのは、週最後の透析の翌日でした。いつもの足の傷チェックをした時です。パパに心当たりを聞いた時は怒りがこみ上げて来ましたが、その時は傷の匂いもキツくなかったし素人目にはそんなに酷いとは思いませんでした。
しかし週明けに受診した際、先生の表情が変わりました。翌日から即入院になりました。その日は受診後透析に行き状況を説明しましたが、重大さを感じてる様子はなく、謝罪も軽いものでした。その時は呆れて何も言う気にならなくなりました。
そこから長い長い闘いの始まりでした。


長ーくなったので、続きはまた次回に。