「深い悲しみの涙」 | Shall we think?!

Shall we think?!

一個人、海賀大湧の自由な発想の記

メディアを拝見していると、そう思えてしまうので、どうしても。



この大災害の犠牲者・被災者の多さを考えたら、「哀悼の念」が前面に出てくるはずなのですが・・・・。




・・・・・




気合とパフォーマンスでスピーチだけをして、国民の前での質疑応答も無く、退席する首相。



淡々と報告を進める、官房長官、担当大臣。



そもそも場に出てこない担当大臣。




・・・・・




皆様、「奥羽列藩同盟」をご存じでしょうか?



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E5%88%97%E8%97%A9%E5%90%8C%E7%9B%9F


(ウィキペディアより抜粋)


二人のミカド [編集 ]

詳細は「北白川宮能久親王 」を参照

上野戦争 から逃れ、6月6日 に会津に入っていた輪王寺宮公現法親王(のちの北白川宮能久親王 )を同盟の盟主に戴こうとする構想が浮上した。当初は軍事的要素も含む同盟の総裁への就任を要請されたが、結局6月16日 に盟主のみの就任に決着、7月12日 には白石城に入り列藩会議に出席した。

また、輪王寺宮の「東武皇帝」への推戴も構想にあったとされるが、よくわかっていない。

確かなのは輪王寺宮が会津入りする以前の4月の段階で用語などが天皇扱いされていたことと、「東武皇帝の閣僚名簿」としていくつかの文書が知られているだけである。当時の日本をアメリカ公使は本国に対して、「今、日本には二人の帝(ミカド)がいる。現在、北方政権のほうが優勢である。」と伝えており、新聞にも同様の記事が掲載されている[2] 。』


『奥羽列藩同盟の旗』:ウィキペディアより抜粋





実は、明治維新の時に、奥羽列藩は「別の天皇」を立てて独立しようとしたのです。いろいろな理由がありますが、ここでは詳しくは述べません。



その最後の戦いが、北海道での「五稜郭の戦い」です。



その奥羽列藩同盟を攻撃して、打ち破ったのが、ご存じ長州藩、薩摩藩を中心とする当時の政府軍ですね。



長州藩は、菅首相の故郷でもあります。高杉晋作氏に心酔していると、ご自身でもおっしゃっていました。




・・・・・




皆、同じ日本です。




是非、そういう過去とは離れて、共感=共通の痛みを前面に出して、国民の前で、一度は「深い悲しみの涙(をこらえる/かみしめる姿)」を見せてもらいたいものです。



政府が主導して、犠牲者・被災者の方々へ、全国民で一斉に「黙祷を捧げる」ことも、あってもいいのではないでしょうか。



そういう「こころ」が、どれほど民の信頼・支持を受けるか、西郷さんと支持者たちを除く当時の政府軍系の方々も、もうおわかりになって、豊かな「こころ」になってくださると嬉しいのですが・・・・。わからないので、パフォーマンスや責任転嫁に走る方々も多いのでしょう。(西郷さん方は、最初からおわかりでした。西郷さん方のご無念は、ほんとうに悲しいです。)



知性だけではなく、「こころ」(感性)も知性も両方とも豊かな民が、ほんとうに優れた民=賢民なのだと、私は思います。そういう方々が、東西どちらの日本をも満たしているのですから。





政治家も、賢民の代表であるならば。