Mです。こんにちは。

 

 

【JWへの疑問】エホバの名前の由来と読み方

↑こちらの記事のためにいろんなサイトの聖書情報を読んでいて、

ちょっと思ったことがありました。

 

 

【JW出版物分析】「エホバ」を復元するのは新世界訳聖書の改ざん?

↑こちらの記事で触れた、

心理学用語の「実験者効果」。

 

 

実験者効果とは

「実験を行う人が求めている結果イメージがあると、

実際の実験においてもそれに近い結果が出てしまう」

・・・というものです。

 

 

この実験者効果が、

エホバの名前の解釈や

名前をどう取り扱うかについての文言にあらわれているなぁと思いました。

 

 

やっぱりみんな、

自分(の立場)に都合よく考えたくなっちゃうものですよね。

引用させていただいたサイトをご覧いただければわかると思います。

 

上から目線で言っているわけではありません。

私もそうです。

 

つい、批判したい対象には辛口に、

擁護したい対象には甘口に、なってしまいがちです。

 

 

聖書を信じる方々にとっては、

「御名」を語るとなれば

アツくなっちゃいますよね。

 

私は特にエホバの名を大事にしたいとかいうわけではないのですが、

大事にしたいものについて意見が割れているときに

アツくなる気持ちはとてもわかります。

 

 

ですが!!!

 

   戦いをやめてください!(ノ◇≦。)

 

 

プチ宗教戦争勃発?!

「アツくなる気持ちわかる~」なんて

ほのぼの言ってるだけじゃ済まないかもしれません。

 

今回、

さまざまな立場の方々の意見・解釈を読みました。

JW、元JW、カトリック(神父)、プロテスタント(牧師)、元カトリック信者・・・

 

 

皆さん、必ずと言って良いほど、

自分たち以外の集団に対して

否定や皮肉のニュアンスのある文章が書かれていました。

 

 

プチ宗教戦争・・・( ̄□ ̄;)アワワ

 

 

そう思ってしまいました。

 

 

アツいアツい、神に対する想い。

異なる考えを退け自分の考えを正しいと感じたい。

そしてそれを証明したい。

・・・そう思ってしまう人間の性。

 

今も昔も同じですね・・・

 

 

神へのアツい想いが高じて、

いくつもの宗教戦争が起きてきたように思います。

現代では・・・あり得ないと信じたいところです。

 

 

とはいえ・・・

 

 

ネットで表明することで爆発を防げる?

神父さんや牧師さんなど

キリスト教的な権威ある方たちでも

ブログやサイトでの言いっぷりが

本当に人間味が合って、面白かったです。

 

文章から、主観が透けて見えました。

 

不満や批判を、

小出しにしておくのも悪くはないのかもしれませんね。

 

ネットで考えを表明することで、

逆にストッパーになるかもしれませんし。

おそらく、不平不満の爆発は防げるのではないかなと思います。

 

ただし、忘れてはいけないのは

相手を思い遣る気持ちだと感じました。

 

 

必要なのは、相手を思い遣る気持ち

どれだけ

「自分のほうが正しい」

「相手が間違っている」

・・・と感じても、

相手を思い遣る気持ちは忘れたくないものです。。

私も常にそう思うようにはしていますが、まずは、反省。

 

相手を思い遣る気持ちがあれば、

戦いや争いは起こらずに済むはずです。

もし起きたとしても軽めで済む・・・はず。

 

 

思いやりと集団心理

思いやり、と一言でいってもなかなか難しいもので、

誰にどれだけ思いやりを向けるか、も関係してきます。

 

自分と同じ集団の人への思いやりが

意見の違う別の集団の人への思いやりを

大きく超えてしまうと、

戦いの危険度は高くなるかもしれませんね・・・。

 

自集団の中での思いやりばかり増してしまうと、

自集団のための行動に対して

連帯感や依存心が出来ますからね。

 

その連帯感や依存心が高まれば高まるほど、

別の集団から見た「理解の困難さ」も

大きくなっていきます。

 

そんな集団は当然のごとく閉鎖的になり、

いつしか別の集団への攻撃を正当化していきます。

 

歴史が物語っている気がします。

 

 

 

プチ宗教戦争を防ぐために

 

別の教派に対するちょっとした批判が

すでにプチ宗教戦争になっているかもしれない。

 

思いやりの気持ちが

自集団の持つ理論への依存性を増し

別の集団への攻撃の正当化につながるかもしれない。

 

そして、昔のような宗教戦争に発展するかもしれない・・・

 

 

私の単なる妄想で済むことを祈るばかりですが、

相手の気持ちを思い遣ること以外にも、

というか思いやりの気持ちの前に大切なことがあります。

これは、プチ宗教戦争を防ぐための大きな方策になるでしょう。

 

 

プチ宗教戦争を防ぐ方策とは・・・

 

思考と行動を客観視することです。

 

 

心理学的には、

自分で行動をコントロールするにはまずは「自覚」すること。

 

自分がどんな感情や思考から

どんな行動をしているのか、知ること。

 

↑これがスタート地点です。

 

スタート地点がわからなければ、

ゴールも見えません。

 

行動をコントロールしたくても

自分がどんな行動をしているのか

真の意味でわかっていなければ、

コントロールしようがないですものね。

 

 

属する集団の「考え方」にうかがいをたてる前に、

(これはJWや宗教に限らずどんな集団でも)

自分自身は何を感じ何を考えているか。

自覚し客観視することをオススメします。

 

 

そうでないと・・・

知らないうちに戦いの一端を担ってしまっているかもしれませんぞ!

 

・・・私の妄想の中では、ね(*゚ー゚*)テヘ

 

 

 

お読みいただきありがとうございました!

 

自分が何を感じ考えているか、

そしてそれゆえにどんな行動をしているか、

自覚していけるように、

いっしょに適度に努力!していきましょう^^

 

 

 

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