臨床心理士Mです。


JWへの個人的な疑問、

今回は

「人間が神のかたちに造られたなら、神もネガティブな気持ちを抱くのでは?」

という点についてです。





神≒人間、人間≒神?

A=B、ならばB=A・・・

では必ずしもないのでしょうが、


人間が神のかたちに造られたのなら
神も、人間的な思いを抱くということですよね。



このことは、
JW的な聖書研究をする中でも
何度も扱われることだと思います。



そして、
神が悲しんだり
神が心を痛めたりする、
という内容も、
聖書を参照しながら確認します。



でも、



「神が怒った」
とか
「神が嫉妬した」
とか
「神が、友人への憎しみゆえに彼が苦しむのを助けずにいた」
・・・といった話は、聞きません。



そして、たぶん聖書にも載っていないでしょう
(怒りについては、旧約のほうにあるかもしれません)




でも、わたしは次のように思ってしまうんです。

人間が、神に似せて造られたのなら
神も、今人間が抱くような
さまざまな思い・・・

怒り、憎しみ、嫉妬、うらみ、誰かを陥れたいと思う気持ち・・・

・・・そんな、どうしようもないネガティブな想いだって
抱くことがあるのではないか?
・・・と。





サタンも一応、「完全」・・・?

神や御使いは
「完全」
で、

人間は
「不完全」
らしいですが、

サタンも、一応御使い出身(?)なのだから
「完全」な存在、なわけですよね。



でも、
サタンはいろいろ汚れた気持ちを抱き、
人を陥れ世界を乱している・・・のですよね。





「完全」ならば、
 ネガティブな感情は抱かない?

となると、
「完全」ならば、ネガティブな感情は抱かない・・・
とはいえないですよね。


「悲しい」とか「心痛める」とかその程度のネガティブさだけでなく
御使いや神すらも、
怒り、憎しみ、うらみ、そねみ、復讐・・・
そんな気持ちも、抱くことはあると思うんです。



・・・「JWへの個人的な疑問」として何が言いたいかというと、
「神の絶対性」を、
盲信しすぎていないか・・・
という点です。



例えば、
震災に遭った人たちのことについて
「なぜ愛ある神なのに、あんなむごい災害を起こすのか」
と疑問に思う人もいるでしょう。

わたしもそうです。

同様の疑問を、
JWの姉妹に聞いたことがありました。


すると、若干答え慣れた感じで^^;
次のようなふうに答えてくださいました。


「震災のあった地域のこと、
エホバは悲しんでおられます。
エホバは感情のある方ですから。
でも震災はサタンが起こしたことで、
エホバによるものではないんです」


エホバの証人的には
100点の答えだと思います。



でも、
JWの言うところの「エホバ神」が
サタンや人間に対して、
例えば
イラついたり、
「いい加減にしろよオマエら」と思ったり、
「あーなんかダルイからちょっと災害起きちゃってもいいかー」と思ったり

してない!
そんなこと絶対ありえない!

・・・と、言えるでしょうか。


神は、人間に似ているのですよね。

人間は、よく、やらかしますね。
怒ったりイラついたりダルかったりして、
人道的でないことをしてしまうこと。


人間がよくやらかすことを、
神は絶対しない!
と言い切れるのでしょうか。


本当に神は、
つらい目にあった人たち全員に悲しみを抱き、
ひっどい事やらかした後、悔い改めれば寛容に許してあげ、
エホバの証人の信者すべてに慈愛を寄せてくれている・・・
・・・そう、言い切れるのでしょうか?





神の絶対性

神の絶対性を信じられなければ
宗教を信じる意味はないと思います。


だから「神は絶対である」というところは
宗教指導者たち的には
揺らいではマズイところでしょう。


なので、JWの出版物などでも
神の絶対性をとことん説いているように思います。


しかし、矛盾がそこここに見えて来ます。


神は愛ある方で
公正で
人間が好き・・・

それは、聖書に書いてあることでもありますし
わたしも特に疑問はありません。

というか、
そういう存在でなければ
神であってほしくない、とも思いますし。



でも、

神は、その昔、洪水だって起こしちゃった方です。
自分が気に入った人だけ残し、
洪水で一気に滅ぼしちゃってます。


自分のことをめっちゃ信頼してくれてたヨブが
痛い目に遭わされまくったときも
もちろんリセットしてあげたけど
さんざん放置してました。
 (そもそもあのリセット的なラストもホントどうかと思うんですけどね、
 ヨブ記についてはまた別の機会に)


サタンがいろいろやらかして
人が絶え
悪いことがはびこり
みんながつらい思いしてるのも
神は、今、とりあえずそのままにしてます。


神は
本当に愛ある方なのか。


神は
ふとネガティブさにかられることはないのか。



・・・そう疑問を抱きつつ考えていくと、


神は、
本当に絶対的な存在なのか。


・・・この、キリスト教的に最も重要なテーマにも
はてなマークがついてしまいます。





神の人間らしさ

なんというか、
神の絶対性も、よく考えるとあやふやだけれども
それでも良い教えだし、信じる・・・
というのも、
宗教的なスタンスとしてはアリだとわたしは思います。



ですけど、

「エホバは人間のように感情があるんですよ」
「エホバは悲しみも覚えられるんです。すばらしいですよね」
「エホバは人間に心痛められるんです。ありがたいですね」


と、兄弟姉妹に言われても、
なんか・・・なんか!イラ!っとする!
って感じなんです。


わたしがひねくれモノなんですかね。
まぁ別にそういう自分も好きなので、いいんですけども。



例えば、
上記のような
「エホバは人間のように感情があるんです」
「悲しんでくれるんですすばらしいですよね」
「心痛めてくださってるのはありがたいですよね」
と(不)自然な笑顔で語られると、

エホバが人間のように感情がある・・・
というフレーズから、
私の脳内では次のようなことを妄想してしまってます。




「なんか今日ダルいしめんどくせ、ちょっと多めに人間滅びてもいっか」
って寝転がって鼻くそほじってるエホバ。


ある人がつらい目にあっているとき、
「こいつ、前に俺のこと信じないとか言ってたしな~」
なんて思いが心をよぎり、
ちょっと気がとがめるけどスルーしてしまうエホバ。


ハルマゲドンのタイミングで、
二度寝して遅刻してあわてふためき
楽園に行ける人と楽園NGの人を取り違えちゃって
「あっ」 「あちゃー」 「やったった」 「・・・ごめん(テヘ☆)」
で済ますエホバ。



真剣に神を信じている方には申し訳ない、
不謹慎ですけど、
わたしはこの「妄想エホバ」、好きです。



とっても人間らしい。



ネガティブで
めんどくさがりで
ちょっとヌケてて
自然体。



普通に考えれば、神は・・・

エホバのしてきたこと・していることを
都合よいところだけ切り取り、
神格化し、絶対化し、
矛盾には目を向けないようにして
組織の教えだけを盲信・妄信している人に対しては
わたしは愛着を抱けませんが、


目を向けるべきだと思ったところに目をむけ、
疑問を抱いたら自分で考え、
悩みに悩む人に、
わたしは愛着を感じます。
そして、自然に共感し、応援したいと思います。



きっと、神も
後者のほうを愛らしい、愛したいと思うと思いますよ。
普通に考えれば。



そもそも
わたしはダメなところがいっぱいある自分自身に愛着を感じますし、
そして、自分の妄想内のエホバに愛着を感じます。



あなたの思うエホバ像は、
どんな存在ですか?^^





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