臨床心理士Mです。


マタイによる福音書1章を
自由に読んでいきたいと思います。


今回は「インマヌエル」についてです。




マタイ1章23節 その名はインマヌエル




まずはいっしょにマタイによる福音書1章18節~を読みましょう。 ※口語訳です


1:18イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
1:19夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
1:20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
1:21彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
1:22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
1:23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
1:24ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。 1:25しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。





名前問題ふたたび

ここを読んで、私が最初に思ったこと。


また名前問題来たよ( ̄□ ̄;)!


エホバの御名。
イエスの御名。

御名の「名(name)」とは、
直接的な「名前」としての「name」なのか
「名誉」などの意味で使う「name」なのか。


・・・この「名前」というテーマについては
エホバという名前
↑こちらの記事を書いたときに
結構真剣に考えてきたので、


「また『名』来たよ!
しかも今度はエホバでもイエスでもないよ!
インマヌエルって誰だよ!」


・・・と思いました。



■ 「名」に固執してる?

こんなふうに考えていくと
「名前」に対して固執していると受け取られかねないのですが、
聖書における「名」の意味をつかんでいないと
おかしなことになってしまうのでは?・・・と思っているんです。

・「名」というのは、呼称としての名だから
 ちゃんと名前を呼ぼうね

という話なのか、それとも

・「名」とは名誉のことだから、
 その人の「誉れ」を素晴らしいものだと語ろうね
 名前を呼ぶだけじゃ意味がないよ

という話なのか、

ハッキリしておくことが必要だと思いました。



「その名はインマヌエル」について
がんばって考えていきたいと思います。




インマヌエルって?

■ イエスなのか、インマヌエルなのか

御使いはふたつの名前を出しています。


彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。(マタイ1:21より)

「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」(マタイ1:23より)


イエスなのか、
インマヌエルなのか。


「名づけなさい」→イエス
「その名は・・・呼ばれるであろう」→インマヌエル


後者の「名」は、「呼ばれるであろう」と書かれてはいるものの
「呼称」というわけではなさそうですね。



■ マタイ1章23節 各聖書の記述


口語訳では「その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」とありますが、
他の聖書では?


新共同訳:
その名はインマヌエルと呼ばれる。


新世界訳:
その名をインマヌエルと呼ぶであろう。


WEB:
They shall call his name Immanuel


・・・「call」を「呼ぶ」と訳してそのまま全訳するなら
「彼らは彼の名をインマヌエルと呼ぶだろう」
というあたりが適切なようです。



■ インマヌエルの意味=神われらと共にいます

さらに、「インマヌエル」とは

「神われらと共にいます」という意味である。 (マタイ1:23)

というふうにもあります。


とすると、

彼らは彼の名を「神われらと共にいます」と呼ぶだろう

とも言い換えられます。



■ 大胆☆聖書翻訳

ちょっとここで


Mの大胆☆翻訳♪


行ってみたいと思います。

各方面を敵に回す覚悟で。
(でも汝の敵のために祈ってね♪)


nameには「名誉・名声」という意味があり
call には「考える、見なす」という意味もあります。
また、「インマヌエル」=「神われらと共にいる」の意味なので、

They shall call his name Immanuel (Matthew1:23)

↑こちらの聖句を

「彼らは彼の名誉を「神が我らと共にいる」と考えるだろう」
=「皆、イエスのことを「神が我らと共にいる」と知らせてくれる誉れ高き人だとみなすだろう」


・・・と、考えることって、出来ます、かね・・・?(なんだか弱気)


または、
 name が「イエス」そのものを指しているとすれば

「彼らは彼のイエスという名が「神がわれらと共にいる」という意味を持つと考えるだろう」


・・・というふうに考えることも・・・出来なくはないかも・・・
(どんどん弱気)


ただ、こういうふうにとらえると
私としてはわかりやすくなる・・・
と思いました。

翻訳って難しいね☆





神が我らと共にいる・・・そうわからせてくれる人


「名」とか「呼ばれる」とか言わないで、
「イエスは、神が我らと共にいる・・・そう私たちに知らせてくれる人になるだろう」
って書いてくれれば超わかりやすいのに。

って思っちゃいました。


この解釈も、合っているのかそうでないのかはわかりませんが、
少なくとも私は聖書を読んでそう感じました。

この表現が、私の持つイエスのイメージにもっとも当てはまっているから。




 「その名はインマヌエル」心理学的には?

■ マタイの作為も感じるぞ・・・

最後に、ちょっとうがった見方をすると。

すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。(マタイ1:21)


対訳聖書アプリのWEB聖書には
1:23の文末に
{Isayah 7:14}
とありました。


イザヤ書を紐解いてみると
たしかにインマヌエルのことが書いてある。


イザヤ7:14が成就するため?


まぁそういう記述って福音書には複数あるけど・・・


「預言が成就した」的な記述を読むと、
とたんにうさんくさく感じてしまう私。


マタイさん、
イエスの神性を高めるために、
御使いのセリフも・・・
盛っちゃった?

みたいな。


マタイは前科もあるからね! 
→ 十四代の謎(マタイ1章・自由に聖書を読む)


■ ヨセフの夢だしね


しかも、マタイ1章後半は
イエスのパパ・ヨセフの夢だしね。

要は、
ヨセフが
「いや~、すげー夢見ちゃったよ。
オレの夢ん中でイザヤの預言成就しちゃったよ」
ってだけでしょ。


あんたの夢かい。
自己申告かい。


・・・「自己申告」なんて書いたら、
どっかの「油注がれたスゴイ人たち」思い出しちゃったYO!

自己申告で
「妻と息子だけじゃなくて、僕も選ばれた人なんです(キリッ)」
なんて、
ダサいよ・・・痛いよ・・・


あとさぁ、
もうちょい練った夢にしとこうよ。
こんなヘタレブログで
「ダサ、夢かよ」なんてdisられるとか、設定甘すぎない?


もしインマヌエルがマタイの創作だったらもっとヤバイと思う。
「天使の夢見ちゃいました~」なんて、
聖書じゃなかったら速攻ツッコミ入るレベルだよ?
ラノベだったらベタすぎて壁本だよ?


---以上、愛あるツッコミ、終了---



■ ヨセフの夢は無意識のうれション

つまり(?)
心理学の立場から考えるなら
「その名はインマヌエル」のくだりは・・・


イエスの父・ヨセフは
無意識では
妻・マリアの処女懐妊を否認したくて
妻の妊娠によって古代の預言が成就する・・・
という夢を見た。

夢は「無意識のうれション」みたいなもの。
意識できない、直視したくない気持ちの片鱗が
思いがけずちょこっと漏れ出る。それが夢。

ヨセフは、無意識内で
古代の預言になぞらえて
妻(とそのお腹の子)を神格化することで
妻の不倫を否定したい気持ちを消化(昇華)した。

さらに、
マリアと息子だけが神性を持つのは避けたかった。
自分だけが「ただの人間」なのではプライドが傷つくから。
だから自分も「神の御使いが夢に出てきた」と吹聴することで
自分にも神性があるのだと信じたかった。


・・・ということになる・・・かもしれません^^;


御使いが、ヨセフだけじゃなくていろんな人の目の前にあらわれたなら、
上記の太字はヨタ話になりますが・・・

なんてったって、
夢だしね。
寝取られヨセフのね。
マリアの処女懐妊が、不倫→離縁を回避するためのでっちあげならばね。
そしたら、イエスもどこのだれとも知れない男の子どもということになってしまいますが。

でも、超現実的に考えたら、そういうこと。



■ イエスは悲劇の二世?!

・・・そうすると、
イエスの神性についても少々うがった見方が出来ます。


信心深い母・マリアは不倫をごまかすためにお腹の子を「神の子」だと信じた。
プライドの高い父・ヨセフも妻の不倫を信じたくなくて神の子だと信じることにした。
父・ヨセフが御使いの夢について吹聴したために、
周りも神の子だと信じ始めた。

イエスは、
幼い頃から神の子として育てられたので、
自分には神性があると信じ込んだ。


・・・エホバの証人の二世さんたちの姿が重なってしまう・・・(ノ_・。)
この場合、
冷静に現実を見られていない分、イエスは病的だけれど・・・




・・・てなところで、
マタイ1章「その名はインマヌエル」
心理学的ヨタ話、終わり。

でも個人的にはかなり面白かったです^^;
不思議と、マタイにもヨセフにも親近感持ててきました。
人間らしい!


■ 人間らしくて、いいじゃない?

いいじゃない、
ちょっとくらい話盛ったって。
それが、後世にこんなベストセラーになるなんて思ってなかったんだもん。

いいじゃない、
妻の不倫否定したいがために夢見たよって言っちゃったって。
まさか、ウチの子(オレの種かわかんねーけど)が
こんなカリスマになるなんて思ってなかったんだもん。


うわぁぁ!
人間くさい!
こういう人たち、すごい好き!

マタイさんヨセフさん、パネェっすー惚れるっすー(///∇//)!


勝手に読んでるだけだけど、
聖書がどんどん面白くなってきたぞ?!



【自由に&心理学的に聖書を読む】
■ マタイ1章の記事は
十四代の謎
彼女を知ることはなかった
もあります。
どうぞご覧ください。

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