『和多志』とディズニーの思い出 | 田舎へ移り開店計画「うめ~じんぐ!なごみ家 7538」

田舎へ移り開店計画「うめ~じんぐ!なごみ家 7538」

ワイキキで小さなレストランを営み、丸8年間1日も休まず営業した後(9/30/20をもって)、田舎への移住計画をたて、
その過程のお話と、レストランでの経験したことなど交えてつづります。

ご訪問ありがとうございます。

 

(2021/9/21)

 

前回の投稿で、アメリカ本土からの観光客で、ワイキキが溢れていると、投稿して、その後直ぐにワイキキが静かになった、理由は簡単、ハワイ州知事がハワイに来ないでくれと言いだし、加えてアメリカ本土でも、昨年3月から続いていた休業補償の支給が終了した、支給が止まれば節約モードになり旅行を控える、ダメ押しで9月13日から始まったレストランや屋内施設へ入店には、ワ〇珍証明(又は検査証明)の提示がオアフ島(マウイ島も)で義務付けられたからだ、静かになったワイキキ、今来ている観光客には余裕が有る?裕福でおしゃれな家族が多い様子、ワイキキのレストランで食事をしている人達は皆ワ〇珍接種済み?裕福でおしゃれな家族はワ〇珍推進派?打たなと決めている和多志どもは、ワ〇珍証明が無くても入れるスーパーで買い物、自炊の生活が続きます、レストランや屋内施設に行けなくても平気、オーガニック食材を買い込み、バランスを考え、病気無し医者いらずの生活を送っている。

 

 

毎朝のレモン水を飲みだして、半年が経ちました、調子は良いです、初めはレモンと少量のオイル(アボカドまたはオリーブ)と天然塩だけでしたが、今では液体マグネシウムを数滴加え、サプリはオメガ3に加え、スピルリナとアシュワガンダを摂取し始めた、スピルリナはハワイ産、アシュワガンダもアメリカ国内生産、以前紹介した、ハーブを扱うインド人の女性から直接分けてもらいます、男なら誰でも興味がありそうなアシュワガンダの効能、摂取し始めて直ぐに体感、ハワイ島にてハーブの生産にも興味があり、家族で摂取以外にも一般への販売も視野に入れ、楽しみながら摂取し、関わって行きます。

 

 

日本への帰国の際に必要な、隔離期間の変更が頻繁に起こっています、ワ〇珍接種証明で隔離が短縮、まだまだワ〇珍接種を推進し、接種率を上げようと日米の政府は動いています、まだまだ続く移動制限、日本入国時の隔離義務が短縮し始めた今の時期が、日本へ帰れるチャンスと考えていましたが、売電は11月初旬からアメリカに入国(外国人と米国人も?)するにはワ〇接種証明が必要になると言い出した記事を見かけました、事実かどうかは、今後分かりますが、もしアメリカ入国の際にワ〇接種証明が必要になれば、日本へ一時帰国してもハワイへ帰れない可能性があり、帰国は諦め、来年の3月以降母の一周忌が過ぎた後に、移動制限が緩和されれば、帰国することに決めました、正直なところ、母が亡くなって一年間は自宅に手を入れず片付けず、そのままにして置きたい氣がし、弟と話し、それまでしばらく実家の草むしりなど、近所迷惑にならない様にお願いしました。

 

 

このブログを読んだことのある人は、氣がつかれたでしょうか?前回の投稿までは「和多志」のことを「俺」と称し、書いてきましたが、今回から「和多志」に書き換えます、水瓶座の「風の時代」は謙虚に生きる方が生き易い、と思い、「俺」では傲慢な奴と思われそうなので変えました、と、言うことで、今回はタイトル通り「『和多志』とディズニーの思い出」に付いてつづります。

 

(上映会のパスに付いていたスティッチ)

 

先日、ディズニーのアニメーション映画「リロ&スティッチ」のオリジナルがテレビで放映されていて、「この映画のスティッチは友達が書いたものだよ」、デジタルではなく、アナログで「一枚一枚手書きで書いたものだよ」と奥様が息子に説明していた、もちろん全てのシーンを1人で描くのではなく、沢山のアニメーターが、主人公のリロやスティッチを担当し、シーンごとに分けて、担当者が描きます、その中の何人かに知り合いが居て、当時フロリダの「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」にあった、MGMスタジオの中に案内されたことを懐かしく思い出しました。

 

(右から、和多志、奥様、トラビス、トラビスのX、ジェイ、セラ、エレンの奥様、エレン)

 

ディズニーと聞くと日本では東京のディズニー・ランドやディズニー・シー、アメリカならカリフォルニアのディズニー・ランドやフロリダのディズニー・ワールドなどテーマパークが頭に浮かびます、他にホテルやクルーズ船も保有し、アニメーション映画や実写版の映画など、映像に関わりテレビ局も所有する大企業と言うイメージでしょうか?和多志にとっては、悪〇〇拝や子どもの誘〇なども噂され、悪いイメージもあり、アメリカ本土ではディズニー・ショップの多くが閉鎖されたとも聞き、良い悪いは考えず、絵を描くのが好きな素晴らしい芸術家を見つけ出し、アニメーターとして雇い、監督に使い、沢山の長編アニメーション映画を世に送り出した会社(企業)と言う思いで続けます。

 

(今は無きMGMスタジオのロゴ 画像はネットより)

 

「リロ&スティッチ」の映画の中でスティッチが車に轢かれるシーンがあります、そのシーンを友人のトラビスが描きました、トラビスのほかにジェイとセラも「リロ&スティッチ」の制作に関わり、当時MGMスタジオで働いていました、トラビスの兄、エレン・ブレイス(日本ではアーロン・ブレイス)と始め知り合いになりました、和多志は日本を出てハワイに1年住んだ後、1999年にハワイからまだ結婚していない奥様とフロリダまで流れて行き、オーランド市より少し離れた、クレアモント市と言う町に移り住みしました(フロリダに移住した経緯はまたの機会につづります)、その町にエレンの家族も住んで居て、そこでエレンと知り合うこととなり、友達になり、家族同士で一緒に過ごすことが多くなり、後にクレアモント市で2000年11月22日に奥様と結婚した時、婚姻届けの証人(見届け人)として、エレンとその奥様がサインしてくれる程の仲となり、エレンと奥様に何かあった場合、エレンの娘と息子の2人の子どもの、和多志ども夫婦は後継人とまで成りました、その後エレンの奥様は亡くなってしまいましたが、今でもエレンとは付き合いは続いて、今年6月にフロリダに旅行した時も、エレンの家で2泊3日過ごしました。

 

(今は無きMGMスタジオの入場ゲート 画像はネットより)

 

当時ディズニーの長編アニメーション映画はフロリダのMGMスタジオで創られていました、幾つかの長編アニメーション映画が同時進行していて、その中に「リロ&スティッチ」とエレンが監督を務める、「ブラザー・ベアー」も含まれていました、もちろんエレンも当時のMGMスタジオで働いていて、数あるディズニーの長編アニメーション映画のうち、アナログで制作されたクラッシック作品の最後の作品として「ブラザー・ベアー」が入っていると聞きました、「リロ&スティッチ」もMGMスタジオで創られた、アナログ作品ではありますが、遺伝子組み換えされた動物のストーリーなので、昔から伝わる伝説や物語とは違った作品となり、クラシックでは扱わない様です、「ブラザー・ベアー」より「リロ&スティッチ」の方がヒットしたことは横に置いて置き、クラシック作品の中に加えられた、監督のエレンはラッキーだったと今では思ってます。

 

(2008年1月より「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」に改名 画像はネットより)

 

2002年「リロ&スティッチ」が完成し、映画製作関係者の家族を招き、完成披露プレミア上映会が「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」内ダウンタウンディズニーのシアターでありました、その後、同敷地内にある、人口で大きな波が出来る、ウオーターパーク「タイフーン・ラグーン」を貸し切り、映画の舞台がハワイなので、服装はハワイにちなんで選ぶ様に伝えられ、アロハシャツやムームーなど色鮮やかな服装の家族が多く参加し、フラダンスのショーやバーベキューにて食事が振る舞われ、波が出来るプールではサーフボードを持ち込み、サーフィンを楽しみ、パーティーは深夜まで続きました、帰り際、もちろん一緒に参加していたエレンに対して、「リロ&スティッチ」の関係者より、「次は「ブラザー・ベアー」の番だね次の上映会で会いましょうと声を掛けられました。

 

(2002年 「リロ&スティッチ」 上映会)

 

2002年から19年が経ち、現在ハワイに戻り、久しぶりに「リロ&スティッチ」をテレビで見て、ディズニーとの繋がり、ハワイとのシンクロを感じ、懐かしく昔を思い出しています、息子に昔話をしても無関心でしたが、「リロ&スティッチ」の映画は氣に入った様で、家族で楽しく観ました、ご縁があり、上映会に参加でき、良い思い出話として息子にも話せ、今回のブログにて紹介出来ることにも、少しはディズニーに感謝しています。

 

(2002年 「リロ&スティッチ」 タイフーン・ラグーンにて)

 

その後2003年に「ブラザー・ベアー」が完成するのですが、完成するまでに、何度かストーリーの変更があり、その度に、出来あがった映像を確認する作業にて、意見も求められるなど、アニメーション映画を創る過程を近くで見ることができ、身近に感じました、映画に参加している声優さんとの打ち合わせに、ニューヨークまで一緒に連れて行ってもらい、お風呂の水が30秒で溜まる、フーシーズン・ホテル・ニューヨークに泊まり、ライオン・キングの他ブロードウェイのミュージカルを鑑賞し、セントラルパークを散歩し、当時を思い出し、エレンとエレンの家族に感謝しています。

 

 

2003年に映画「ブラザー・ベアー」が完成し、「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」内での、2回目の完成披露プレミア上映会、招かれたゲストが多く、2つのシアターに分かれて、同時に上映会、その後ゲストはホテルのディズニー・ウィルダネス・ロッジに集められ、バスにて同敷地内のコンサート会場へ、そこでフィル・コリンズの主題歌を聴く、ゲストだけのコンサート、コンサート後にはバックステージまで行き、フィル・コリンズとあいさつ、日〇人の奥様と紹介され、生まれたばかりのお子様にも会いました、フィル・コリンズの経歴を調べると、〇本人の奥様と結婚した経歴は無いようですが、確かにエレンから奥様は日〇人と紹介されました?コンサートが終わり、少し移動し、パーク内で食事が振る舞われ、雑談は深夜まで続きました。

 

 

残念ながら、ニューヨークでの上映会には招待されませんでしたが、2004年に日本での上映会には招待され、監督のエレンとボブ(もう一人の監督)、それにプロデューサーのチャックの家族と一緒に日本まで、成田空港ではお迎えの車が用意され、帝国ホテルではVIP専用の入り口からチェックイン、日本国内の映画配給先の専務さんと「田舎家」での食事会、スタジオジブリへの訪問と宮崎駿さんとの面会、エレンとボブの朝の子ども番組の出演など、東京でのスケジュール終え、プライベートで大阪と京都へ、京都では旅館「畑中」、大阪では帝国ホテル大阪に宿泊、観光を楽しみました、エレンと奥様と日本で過ごした時間は、一生忘れることはない、良い思い出となりました。

 

(2004年 京都 「畑中」)

 

フロリダのMGMスタジオで長年、長編アニメーション映画を創っていたディズニーですが、「トイ・ストーリー」で有名なピクサーと契約を結び、2006年にディズニーがピクサーを買収した頃、MGMスタジオが閉鎖され、カリフォルニアのハリウッドにスタジオが移され、エレンを始め、トラビスや多くのアニメーター、もちろんボブとプロデューサーのチャックもカリフォルニアに引っ越していきました、エレンは引き続き、もう一人の監督さんのボブと、プロデューサーのチャックとチームを組み、ディズニーで新しい長編アニメーション映画を創り始めました。

 

(2004年 東京)


しかし、相棒のもう一人の監督、ボブが亡くなった事と、ディズニーとの関係が悪化したことで、後に、新しく出来たフロリダの映画制作会社に移籍し、フロリダに戻りました、その後移った映画制作会社が中国資本に乗っ取られ、会社がなくなり、現在のエレンは映画製作から離れ、新しい道として、絵の描き方を世界中の人に教える授業をネットで配信しています、世界中で1000万人がフォローし、アフリカ、ヨーロッパ、日本などに生徒と一緒に旅行しながら、絵の描き方えを教えることを生業にしています、エレンの娘と息子は大人になり、それぞれの道を歩んでいます、エレンは新しい女性と新しい家庭を持ち、1番好きな絵を描くことを続けて幸せに生きています。

 

(2004年「田舎家」)

 

映画の種類にもよるのでしょうが、一生に3本の映画を撮れば、一生分の生活費が稼げると以前エレンが言っていた、その当時からエレンはお金持ちで、ニューヨークや日本の他に、ロスやフランス、パリへも一緒に連れて行ってくれた、絵を描くことにかけては天才なので、絵を描く以外は何もしなくても良い、家族や周りの人に支えられ、家族や仲間の経済を支え、みんなを幸せにしています、若かった絵の上手なエレンが、ライオンキングのナラを描き、ポカホンタスで幾つかのキャラクターを担当し、ディズニーにて多くのことを学び、体験し、監督に抜擢され、「ブラザー・ベアー」を創り、オスカーにも出席した(受賞は無)、ディズニーを去っても、仲間を増やし、今の現状を築き上げた、これからもエレンとその子ども達を見守って行き、いつの日か恩返しがしたい。

 

(アウラニ・リゾート・ホテルのスティッチ 画像はネットより)

 

セントラルフロリダのオーランド周辺に住む人は、家族の中にディズニーにお世話になっている人が多く、和多志どもが住んで居た、クレアモント市もディズニー・ワールドから近く、映画の関係者も当時沢山住んでいました、土地柄ディズニー・ワールドに関わり、観光業やパークの従業員など、ディズニーとは切っても切れない中の人はとても多い氣がする、日本の愛知県にある豊田市とトヨタとの関係に似ている、闇側の企業と噂されるディズニーだが、中で働く人全てが悪ものではない、誰もが知っている、闇側と言われるスタバで皆平気でコーヒーを飲み、LINEアプリが危険で情報が韓国や中国に漏れると聞いても、国の政府機関と国民が平気でLINEアプリを使い続ける、スライムミートがやばいと言われても、平気でマックには行列ができる、スタバに行かず、LINEも使わず、マックも食べない和多志だけれど、ハワイでディズニーが経営する、アウラニ・リゾート・ホテルのスティッチには何時か会いに行こうと思っている。

 

(2021/9/15)

 

さて、

ハワイ島への移住計画ですが、前回の話から、一変し、話が振り出しに戻りそうです、前回の話では自宅と農地の部分を7000万円とし、一括で買い取り、商店とレストランの部分は分割で買い取る内容で良いと返事をいただき、話を進めてきましたが、突然、「自宅と農地の部分は売らない、商店とレストランの部分だけ売却する」、と、連絡をもらいました、和多志どもと交渉中に、他の買い手とも話が有った様で、新しく自宅と農地の部分を買いたいと申し出ている人が、今現在現れた様で、その人に売却する為、和多志どもには売却しないようです、新しく自宅と農地の部分を買いたい人は、商店とレストランの部分要らないと言うことで、結局、商店とレストランの部分だけを買い取ることに戻りました、商店とレストランの部分だけなら、借入を起こさず、手に入りそうです、大金を借入して返済に追われるなら、無理せず手に入れられる物件で大丈夫、家賃の要らない商店とレストランが手に入れば、その後もっと広い農地を探すなりチャンスを増やそう、和多志どもに合った一番良い選択に希望を乗せ、これからの契約に期待します、新しく自宅と農地の部分を買いたい人はどんな人だろう、将来隣同士になる人だ、良い人に巡り会えます様にサムシンググレートにお願いするだけです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

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