事後報告 | 田舎へ移り開店計画「うめ~じんぐ!なごみ家 7538」

田舎へ移り開店計画「うめ~じんぐ!なごみ家 7538」

ワイキキで小さなレストランを営み、丸8年間1日も休まず営業した後(9/30/20をもって)、田舎への移住計画をたて、
その過程のお話と、レストランでの経験したことなど交えてつづります。

ご訪問ありがとうございます。

 

(2021/4/4 4:56PM)

 

昨日久しぶりにAla Way Blvdの運河沿いを散歩しました、少し前にフロリダの自宅とテキサスに住む奥様の両親に会いに行ってきました、検査(PCR珍コロテスト)をせず、ハワイに戻って来たので、自宅にて自主隔離の対象となり自宅で10日間おとなしく息子と過ごしました、出来るだけラナイにて太陽を浴び、暇があればヨガをして波動を下げず、無事に10日間が過ぎました、PCR珍コロテストに使う綿棒の先に怪しいものが付着している可能性があると聞き、テスト無しでハワイまで戻りました、奥様は仕事があるので検査の必要があり、ハワイに戻る飛行機に乗る前の72時間以内に検査を受け、陰性証明を手に入れました、テストは最寄りのCVSと言うアメリカ中にある処方箋などを扱うドラックストアに予約を入れ、その時間にドライブスルーにてキッドを受け取り、普通の綿棒にて自分で鼻の穴の周りをむぬぐい、ジップバックに入れ戻し、後日出発前にメールにて受け取り簡単に出来代金は140ドルでした。

 

 

ハワイからフロリダ州オーランドまで、そしてフロリダからテキサス州オースティンまでの飛行は検査も隔離も必要なく移動できましたが、どの飛行機の中でもマスクは必要で、鼻を覆いあごまでかぶる様に何度もアナウンスで言っていました、今のところワ〇珍を打たなくても、検査をしなくてもアメリカ国内を移動でき、ワ〇珍否定派の俺には選択枠があり安心です、ハワイでは7月8日頃までにワ〇珍接種者が60%以上に成ると予想され、ハワイ州以外の人もハワイ州のワ〇珍パスポート(アプリ)にて、ハワイ州の離島への移動に検査や隔離義務が無くなる予定です。

 

 

フロリダもテキサスも共和党の州です、珍コロに対しての規制は緩いです、お店に入る時は一応マスクをして入ってましたが、テキサスのオースティンではお店に入る時も付けても付けなくても自由意志で良いので安心でした、ただどちらの州もハワイとは違い、アジア人が少ないので白人による視線が少し氣に成りました(オースティンではメキシカンに紛れていました)、あとフロリダでは遺伝子操作された蚊が氣に成りましたが、屋内屋外とも氣をつけていて刺されることはありませんでした、マイアミの方まで南下するとどの常態かは分かりませんが、少し心配です。

 

 

最近の噂ではワ〇珍接種をした人の吐く息と皮膚から出る汗などからスパイクタンパクがばら撒かれ、ワ〇珍接種をしていない人にスパイクタンパクが感染すると言われています(もっと深堀するとワ〇珍接種した人が狂牛病に掛かりワ〇珍接種をしていない人に狂牛病が感染すると噂されています)、フロリダでもテキサスでも、そしてハワイでもワ〇珍を接種した人は沢山おり、接種した人とは屋外に出て出社したり、買い物などすれば、必ず接触するはず、噂はどうあれワ〇珍接種者と接触して何らかの感染が自分に起こった時の対処を自分なりに用意することが求められます、スパイクタンパクの解毒作用(お薦め動画)には、前回の投稿にて紹介したオートファジー(16時間断食による自食作用)が良い様です、免疫を下げず、波動を整え自分軸で対処。

 

 

さて、

ハワイ島ヒロへの移住計画ですが、前回の投稿から2ヶ月が経ちました、(投稿に間が空いたのはパソコンの不具合でしたすみません)、旅行に出かける前に奥様だけ直接物件を見に出かけました、珍コロ検査を受け陰性証明を取り、一人で出掛けてきました、先方とも直接会い現地も確認でき、納得して戻ってきました。

 

 

昨年の7月に初めて話が回って来てから約1年が経とうとしています、話が進む中、商店とレストランの以外に自宅家屋と果物や野菜が成る敷地も売却予定でしたが、そちらの敷地は売却しない事と話は変わり、住む場所の確保にも、確認に時間が掛かり進展はありません、こちら側がお金を用意することが出来ず、ズルズルと時間だけが経ってしまい、先方は高齢の為お店を閉め、他にも売却先を探すと旅行中に連絡が入りました、聞いた話から商店とレストランの部分の不動産名義の中に親族(姉)の人が入っている様で、その方に売却代金の一部を支払わなくてはならず、その様な事情で売却を急いでいる様で、手付金や買い取り期限などの提示を求めてきました。

 

 

フロリダの家の処分を急ぐ為に家に残した荷物の整理と破棄、また手直しなどの為にフロリダまで出向きました、一週間のフロリダでの滞在でしたが、毎日片付けと掃除の日々で少しやせ健康に成りました、その間奥様と良く話し、欲しかった物件で良い話ではあるが、先方が早く処分したい考えをこちら側で検討しました。

 

 

私どもと話し始めて1年が経とうとしています、何度も話し合い、奥様は直接会いお互いを良く知り合えました、しかし先方は他の人にも売る考えを伝えてきました、それは誰に売れても早く買ってくれれば良いとの考えで、この先会った事もない人でも、お金だけ早く支払った人に売ると言う考えで、売った先にその場所に引っ越してきた人と隣同士になり、近所付き合いが始まることは考えないようで、隣に誰が来ても良いと言う考えの様で、この先私どもがその物件を買えば隣同士になるわけで、誰でも良いと言う、その様な考えの人とは隣同士になりたくないと、思えるようになりました。

 

 

そんな訳で話は進まず、手付金や買い取り期日などどうでもよくなり、他の人に売却される可能性も出て来たので、プランBを考え始めました、奥様が先日現地に出向いた折、周りには売りに出されている物件があり幾つか調べてみて回った中に、川が流れ高低差のある土地のみの売り物件が氣に入ったと言いだし、その土地の価格の方が安く、何も無い状態から自宅建築とレストランを開業する計画も視野に入ってきました、移住には時間も掛かるし状況も変わります、起こる変化を良い方向と受け止め、幾つかの可能性を考え選択枠を広げています。

 

 

二つ前の投稿で書きました、母が亡くなって初めて母が夢の中に現れた3月17日の日に、一年以内に『ありがとう』を100万回唱えることを達成しました、その後自分の中で何が変わったのかといろいろ考えましたが、思い当たることもなく日々生活していました、昨年の10月15日に丸8年間続けて来たお店を閉めて無職のままですが、国とハワイ州の補償にて不自由なく生活する為のお金を受け取ってきました、旅行に出かける前の5月1日からハワイ州が中小企業(飲食店も含む)が珍コロ騒動にて被った損害を前年比(2019年)と比較して、2020年度に入る予定だった収益を補償する制度が開始されました、その情報を奥様が事前に知っていたので書面に用意し、5月1日始まった2日後の5月3日ネットにて申請しました。

 

 

申請して10日後ほどで受付が止まり、受付件数以内になんとか間に合った、審査が進み、ネット上に進行状況が確認できる、問題なく進んだ様で最後のOKまでネットで確認できた、その後旅行に出かける前に申請できる者の基準が変わり、多くの申請者が却下になり、申請はストップしたまま、申請が通ったか確認が取れずに旅行に出かけました。

 

 

旅行中に振り込みがあったか確認できないままハワイに戻り、自宅隔離で銀行に行けず、自宅隔離中の俺の誕生日に奥様が俺の銀行のカードで残高を確認したところ、’振り込まれていたことが確認できました、申請した金額まるまる振り込まれていました、外出できず自宅で家族との誕生日でしたが最高のプレゼントでした。

 

 

二つ前の投稿で丸8年間1日も休まず営業してきたお店を、誇れることでも威張れることでもないと言いましたが、今では最善を尽くして丸8年間1日も休まず営業してきたお陰と、一年以内に『ありがとう』を100万回唱えた事で、サムシング・グレートがご褒美としてあたえてくれたのかな~と奥様に伝えました。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

前回の投稿までに「いいね」を下さった方々嬉しいですありがとうございます。