【M-Swift15周年 - その2 プロトタイプ”Praia”は”Praia”になれるか】 | M-SWIFT OFFICIAL BLOG Powered by Ameba

【M-Swift15周年 - その2 プロトタイプ”Praia”は”Praia”になれるか】

勝手に連載その2です。笑。デビュー曲まで

【M-Swift15周年 - その2 プロトタイプ”Praia”は”Praia”になれるか】

オルガンでメロディーを入れたプロトタイプ”Praia”に必要なのは素晴らしいシンガー。

2002年、僕はデビュー曲”Praia”の制作にとりかかった。

ブラジリアンテイスト溢れる曲でブラジル人に歌って欲しかった。海外の音楽に肌の裏までかぶれていると言っても言い過ぎではない事実だった。でも演歌をやるなら日本人を探すし、つまりはその音楽を一番表現出来る”言語”と”リズム”を自在に操れる人物と出会う必要がある。

残念ながら僕の周りにはいなかった。

デビュー曲を完成させるために足りないもの。

四谷にあるブラジル音楽の老舗サッシぺレレ。当時たいした情報もないまま、出会えるのはここしかないとお店の門を叩いた。すっと叩いたように書いたが、お店の前でかなりの時間逡巡した。今ならどうってことないのだが、当時の僕にはそれなりの冒険だった。そんな時は決まって、太宰治の逆行の中にある「われは盗賊。 」というフレーズが頭の中で鳴った。盗賊の大胆さをもって盗賊から脱さねば。とにかく僕は門を叩いた。

もうお亡くなりになられたが小野リサさんの父上が経営されていた店。長い音楽談義の後、良いシンガーがいる曜日を教えてもらった。何日か通っているうちに、こんな大地から生えてきたような声のシンガーがいるんだなと感動した。それがシキーニョさんだった。僕は事情を話してお願いした。快諾してくれた。

雑居ビルの天井をぶち抜いて、手作りで塗装したカフェが中目黒を塗り替えていた。古い雑居ビルが最後のあがきをしていたそんな時期。

それからのことはあまり詳しく覚えていないのだけど、当時その中目黒にあったフラワーレコードの事務所で打ち合わせをし、その奥にあったスタジオで録音した。天井の低い録音ブースには冷房がなかった。ホーンセクションもシキーニョさんも汗びっしょりになって録音したのは良い思い出。

このスタジオで僕を見初めてくれたフラワーレコードの代表、高宮永徹さんにミックスをしてもらった。鼻息だけが荒い、将来に対して根拠のない自信しか持っていなかった僕に「これから何百曲と録音していくんだから、これはそのうちの1曲だよ。」と言ってくれた。ご本人は覚えてないかもしれないけど、僕には大変嬉しくことあるごとに思い出す言葉になった。この1曲のことしか考えられてなかった僕を優しく諭してくれる言葉でもあった。

こうして、プロトタイプ”Praia”はついに”Praia”になった。

デビュー曲に足りなかったものは、少しだけ踏み出すの勇気だった。

2004年、その曲は「F.E.E.L.3」というコンピに収録されリリースされた。

続く