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単純である程度の真実をついた言葉はひとり歩きする

テレビで中高生のクラス内にA、B、Cの階級があるという話があった。
テロップによると発言力のあるAクラスが、ヤンキー・ギャル。Bが普通。Cがいけてない人とのこと。端的に言うと、クラスに階級があって下の階級は上の階級に逆らえないらしい。まず、発言権のあるAをヤンキー・ギャルってところがひっかかるけど、そこはおいておいて。

書くのもいやな言葉だけど、それをスクールカーストと呼ぶらしい。

いやな言葉をだね。

昔も今も人間なんてたいして変わっていなくて、人が集まれば社会ができて、そんな図式は生まれる。

僕らのころだって、喧嘩が強いやつとは衝突はさけるようにしてきた。けど、強いやつは気ままに生きているかと問われればそうでもない。強いやつ同士も以外と気を使っている。だって本当に喧嘩になって勝ち負けがつくと困るからね。笑。強いと思われている方がいいわけです。意外とヤンキーも大変なのです。

けど野球がうまいとか、頭が良いとか、女の子にもてるとか、一目置かれるやつもいた。やたら面白くて、うまくクラスで立ち回っているやつもいた。なにか目立ったとこはないけど、文化祭の準備など黙々とやっているやつもいた。つまり色々な人がいて社会、クラスが回っている。

そんな複雑な社会を、単純に3つに分けると、分かりやすいし、自分はBクラスにいると感じることでほっとする気持ちもわかる。

単純である程度真実をついた言葉はひとり歩きする。

けど僕が何を言いたいかと言うと、これだけいる人間をたった3つに分けていることっておかしいよねということ。その言葉ができたせいで、その3つの階級が実際に存在しているかのように感じているだけなんだ。もっと5つ、6つにわけてみると、結局クラスの人数分の区分けができるんだよね。

その社会の中で生きている人に、その考え方はおかしい!と言っても始まらないのはわかっているんだけど、あまりに単純化された言葉って危険だなと思うんです。

まずは、なにも大人はわかっていない!と言われるかもしれないけど、敢えて『人を階級で考えてないけないぞ』という大前提、そして単純化された言葉の危険性についてはしっかり考えないとなぁ。