お仕事
先日、日経新聞のコラムで野球解説者の豊田泰光さんが、『仕事』という言葉について語っていました。
プロ野球選手がインタビューなどで『仕事』という言葉を野球に使うのはファンの夢を壊すという内容。
非常に考えさせられる内容でした。
僕らも音楽を生業にしている以上、たしかに音楽は、一般的な意味では仕事。
でも、結果としてお金をもらっているけど、もともとお金をもらおうと思って始めた事ではなくて、
「作りたい」という欲求の上に本能的に始めたこと。
そしてプロと呼ばれるようになった今でも、やっている事は始めた当初とほとんど変わらないんですね。
作りたいものを作ってなにかを伝えたい。
とてもシンプル。
もちろん、大人になって、そこには責任という言葉もつきまとう。
いつまでに何を仕上げなくてはならないとか、こういう味付けをちょっと加えた方がもっと共感を得られるんではないかとか。
そんなことを繰り返しているうちに、無意識のうちに僕も
さあ今日も仕事を頑張るぞ!
と、なんとなく仕事という言葉を安易に日常で使っていました。
どんな芸術家だって、スポーツ選手だって、生きている以上は生業が必要。
仕事で上等。
でも日本語の仕事という言葉がもつ意味の広さを考えると、使うときには気をつけないとならない。
日常に飲みこまれないようにまっすぐ生きようと思う今日この頃です。
プロ野球選手がインタビューなどで『仕事』という言葉を野球に使うのはファンの夢を壊すという内容。
非常に考えさせられる内容でした。
僕らも音楽を生業にしている以上、たしかに音楽は、一般的な意味では仕事。
でも、結果としてお金をもらっているけど、もともとお金をもらおうと思って始めた事ではなくて、
「作りたい」という欲求の上に本能的に始めたこと。
そしてプロと呼ばれるようになった今でも、やっている事は始めた当初とほとんど変わらないんですね。
作りたいものを作ってなにかを伝えたい。
とてもシンプル。
もちろん、大人になって、そこには責任という言葉もつきまとう。
いつまでに何を仕上げなくてはならないとか、こういう味付けをちょっと加えた方がもっと共感を得られるんではないかとか。
そんなことを繰り返しているうちに、無意識のうちに僕も
さあ今日も仕事を頑張るぞ!
と、なんとなく仕事という言葉を安易に日常で使っていました。
どんな芸術家だって、スポーツ選手だって、生きている以上は生業が必要。
仕事で上等。
でも日本語の仕事という言葉がもつ意味の広さを考えると、使うときには気をつけないとならない。
日常に飲みこまれないようにまっすぐ生きようと思う今日この頃です。