こんにちは まさくんです。
毎日 暑い暑いと言っていたら
41.1度の歴代最高気温が観測されましたね![]()
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観測台での気温になるので実際には もっと高い気温を
感じている人達もいらっしゃると思います
実際 先日この部屋の気温も40度を超えていたことですからね![]()
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エアコン+サーキュレーターor扇風機にて
設定温度は高めの28度などでも良いと思うので
体感温度のみに頼らず 温度計を設置して目視気温にも
注意して頂きたいと思います![]()
そんな 歴代最高気温を記録した静岡県の
駿河国一之宮
富士山本宮浅間大社へ参詣に訪れました![]()
二の鳥居と社号標
条件がよければ
社号標の右側に
富士山が見えるようです
このひ1日中 山は霧でガスっていたので
富士山近くまで来ているのですが
富士山を見る事は無かったです
天気が良すぎてもだめなのですねー
神額
境内案内図
なぜに
一の鳥居ではなく二の鳥居かと申しますと・・・
最初の写真でおわかりかと思いますが
鳥居のすぐ裏側が駐車場になっております
そこへ駐車しましたところ
係の人がやってきて
駐車券を発行して頂けます

そこで
しょぼーんな感じです
そして駐車場脇にある大きな境内案内図を確認したのですが
一の鳥居がありませんでした
あまり深く考えもせず 時間も限られている事だし
参道へと足は進みました
三の鳥居
ええ確かに見えてますよ
でもね ここ本宮の敷地は
17000坪
東京ドームの1.2倍と広いのです
結果から申し上げますと・・・
1時間以上の滞在となりました

狛犬
大きな狛犬です
阿さんのお口はあまり開いていませんで
仔獅子さんがじゃれています
吽さんは毬を抱えています
どちらかと言うと
吽さんと仔獅子が一緒の狛犬さんが
多い印象がありますが どうなのでしょう?
流鏑馬像
流鏑馬は
建久四年(1193年)源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行い
流鏑馬を奉納したのが始まりとされています。
桜の馬場にて5月4・5・6日には
流鏑馬祭が開催されているようです。

鏡池の輪橋
大正四年(1915年)御即位記念の際石造りに改められたようです。
手水舎
なんと 清掃中・・・
逆にレアな光景かもしれませんね
楼門
朱色の楼門は見事な景観です。
駐車場から見えてるでしょ
って言われて見えたのは 社殿ではなく楼門ですね
鉾立石
明治初年まで行われていた大例祭に山宮へ御神幸の際、
神鉾を立てて休んだ後は鉾を地に着ける事は許されなかった
ことから その名をつけられたとのこと。
神額(楼門)
聖護院入道盈仁親王の御筆で文政2年(1890年)
に制作されたものです
楼門(社殿側から)
楼門をくぐると 雰囲気と言うか空気感が変りました
木花之佐久夜毘売命 (このはなのさくやひめのみこと)
別称:浅間大神 (あさまのおおかみ)
相殿神
瓊々杵尊 (ににぎのみこと)
大山祇神 (おおやまづみのかみ)
浅間大社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、
富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の
浅間神社の総本宮と称されるようになりました。
起源
「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、
富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、
荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。
第11代垂仁天皇はこれを憂い、
その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。
これが当大社の起源です。
その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、
平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。
この偉大な御神徳は、万人の知るところとなり、
篤い崇敬を集める事となりました。
また、富士山を鎮めるため浅間大神をお祀りしたのは当大社が最初であり、
全国にある浅間神社の起源ともなっています。
扁額
本殿
慶長9年(1604)徳川家康が奉賽のために造営したもので、
本殿・拝殿・舞殿・楼門等壮観を極めたものでしたが、
寛永安政等の大地震で破壊したものもあり、
当時の建物で現存するのは本殿・幣殿・拝殿・楼門のみです。
二重の楼閣造で棟高45尺、
浅間造りと称し其の構造は他に例がありません。
1階は5間4面葺卸の宝殿造り、
2階は間口3間奥行2間の流れ造りで共に桧皮葺です。
明治40年5月27日古社寺保存法により
特別保護建造物に指定され以後国宝又は
重要文化財として特別の保護を受けてます。
この後は ちょっと涼しいエリアになります
(後編へつづく)



















