おはようございます。りょうきです。

 

なんかちょっと涼しい。このくらいがちょうどいいです。

 

こうやって涼しいとね、思考が捗ります。

そんな中で、昨日は「成長ってなんだろう」と哲学的なことを考えていました。

 

いや、ちゃんとご先祖の話に着地しますんで(笑)。

 

で、いろいろ考えたんですけどね。とりあえず結論らしきものが出ました。

 

「死ぬこと」ですね。成長とは死ぬことと見つけたり。

とんでもないパワーワードです。縁起でもない(笑)。

 

でもね、例えば九九を習った時の自分を思い出してほしいんですけど。

九九を覚えて以降、九九を知らない時の自分には戻れないでしょう?

お箸も持ち方を覚えて以降、お箸を持てない自分には戻れない。

 

九九を知らない自分とか、お箸を持てない自分は、いわばそこで死んだんです。

だから、もういない。で、新しいのが生まれたと。

 

九九とかお箸とか、いかにも成長っぽいものじゃなくてもですね。

 

何か悪い癖とかを直した、でもいい。

考え方が良き方へ大きく変わった、でもいい。

つまり「何か改善された」雰囲気のものでも同様です。

 

前の自分は、もういない。

これだと、死んだとか言ってもしっくりきます。

 

成長ってね、本来はこのように不可逆的なものだと思います。

一旦新しい段に上がると、元いた段には戻れないんです。

 

そうするとね、大人になると確かに成長の度合いは弱まりますね。

子供の方が、圧倒的に毎日死んでは新しい自分が生まれている。

大人になると、自分は正しい的な発想になりがちなのでね。素直さが薄くなる。

 

だから、素直な人であるほど、大人でも成長は大いにするものです。

 

ここで、これまでのご自身を振り返るとですね。

もんのすごい数の自分が死んで、同じ数の自分が生まれてるはずでね。

私も這うことを覚えてから、今はパスタも作れるようになりました(笑)。

 

そうすると、「同じ間違いを繰り返す」は「成長がない」なのか。

 

んー、どうでしょうね。

 

勉強の場合、教わったはずの問題ができないことがあります。

考えて、わからない。降参して、解答を見る。

その時、「あー」とか悔しい思いをする。

 

悔しい思いがするなら、一応それは成長じゃないでしょうかね。

その内容が本当に初耳なら、悔しくもなんともないはずなので。

 

試験だと、制限時間とかひっかけとか、点を取らせない工夫がたくさんあります。

習ったことがそのまま出ることが稀ですから、いざ問題ができずとも成長がないとは一概には言い切れない。単純な練習不足でパフォーマンスが悪いだけかもしれない。

 

それこそ、それまでは悔しい「あー」すら言わなかったとしたら、それを言うようになったことこそ十分な成長ではないでしょうか(笑)。

 

こんな感じで考えるとね、ちょっとした成長ってすごく多いはずなんですよ。

「お箸を持てない自分に、戻れなくなった」が成長の基準だとしたら。

成長だと思っていたものが実は成長ではなかったり。

成長だと思っていたものがその途上にすぎなかったり。

なるほどこれは成長であると言い切れるものも、きっとたくさん。

 

私が鉛筆を持てるようになった時、祖母は喜んでましたね。

お箸を持てるようになった時は母が、自転車に乗れるようになった時は父が。

英検に受かった時は、塾の先生が喜んでくれました。

 

あるいはもしあなたが親なら、お子様が何かできるようになった時。

すごく嬉しかったんじゃないですか。

 

お箸とか九九とか、しょーもないことでもいいんです。

もちろん微積ができるようになったとか、英語が話せるようになったとかでも。

成長する方でも見守る方でも、どちらでもいい。嬉しいでしょう。

 

成長は、不可逆的なもの。

古い自分が、ある時死んだ。いい意味で、後戻りできなくなった。

いっぱいそれを繰り返して、今がある。

 

そしてその過程で、たくさんの人を喜ばせた。特に自分の親族です。

 

成長はね、本来誰かを喜ばせるものなんです。

知らない間に、誰か喜んでくれてるんですよ。

 

だから、とりあえずあなたがここまで生きてきただけで、喜んでる人がいる。

生きているだけで功徳であるとは、こういうことなんですかね。

 

 

しかし受験生は、そろそろ同じ間違いは許さん(笑)!

 

 

どうぞ良き1日を(^^)