こんばんは。りょうきです。

 

九州から帰ってきたよ。家の水が出ました。嬉しい。

 

晩ごはんに、バターチキンカレー作りました。そんなルー売ってるの知らなくて。

なんかね、鶏肉と玉ねぎだけで作れたんですよ。しかも早い。

 

いつの頃からか、ずっと家にいます。あまり外にも出ず。

いいんです。これは私の性に合ってる。家でじっとしてるのが好き。

 

かといって画面も見ません。見るとしたらYouTubeの懲役太郎さんとタヌキくらい。

ホテルにいるときに、久しぶりに朝のワイドショーをちょっと見てみたんですけど。

…私にはあんまり向いてない笑。

 

そんなこと考えてるとね、俺この世の中に合ってないんじゃないかとか思います。

今の社会を一つのクラスだとして、おそらく私は隅っこに座っている子。

 

あ、別にこの世から消えたいとか、そういうことではないです。

もちろん、何か病んでるわけでもない。心身ともにいたって健康です笑。

 

相談室にお越しの方は、似たようなことをお考えの方も多い。

さっきのクラスでいうと、中心メンバー達の流れについていけないというか。

かといって、その流れについていきたいと思っているわけでもなく。

 

どのクラスにも、大きな流れを作るグループもいますが、静かに座っておきたい人もいるでしょう。で、静かに座っておきたい者同士で、小さくて静かなコミュニティーを作る。

 

問題は、その小さなコミュニティーを作ることができればいいけど、そうもいかない場合。

つまり隅っこ組が、自分以外に見当たらない時とか。

 

いづらいですよねぇ。本当にいづらい笑。

 

それを、例えば「生きづらい」というのかと。

 

意外とね、そういう感じの生きづらさみたいなものを抱えておられる方は多いですよ。

 

 

例えば。私が中学生の時の話。

 

その時から十分にすみっこ暮らしで、中心メンバーの流れには合流できないでいました。

それだけならいいんです。とりあえずすみっこにいれば、悪いことは起きない。

 

ただ、中心メンバーを基準にクラスが具体的に運営され出したあたりで、困りましたね。

 

ある日、学級会にて。

「休み時間は、グランドに出てクラスみんなで何かして遊ぼう」という議題が。

 

これは困った。私は隅っこに暮らしているだけでなく、運動にも縁がなくて

 

中心メンバーは、つまりクラスのほとんどは「Yeah!」の連呼なんですけど。

何曜日はドッジボールで何曜日はサッカーにしようとか、もうそんな話になってる。

しかも先生が明るい体育の先生で、バレーボールの日も入れろとか仰っている。

 

その時点で、私はもう酸欠なんです。隅っこで一人呼吸困難になってます。

一応反対意見を言おうかとも思うけれど、そもそも隅っこなので発言力もない。

 

これ、どうなったと思いますか。

 

結局、担任が校長先生からボロクソに怒られて、計画は頓挫しました。

あまりにも私の組からグランドや体育館の使用予約みたいなのが多いので、不思議に思った校長が担任に聞いて、担任は当然ながらクラスのみんなで楽しく云々と明るく説明したところ、オマエのクラスの隅っこには誰もいないのか!とハチャメチャに怒鳴り散らかされたと。

 

私は校長先生が大好きです笑。

 

閑話休題。生きづらさの話。

 

要するに、休み時間ごとにサッカーとかやるクラスに入っちゃった。

もう最初からそういうことになっていて、しかし反旗を翻す存在感はそもそもない。

だからどうにかして従うしかない。向いてないのに。

で、向いてないんだからサッカーなんかさせられてもミスしかしない。

そのままだとみんなに迷惑だけど、一人抜けるわけにもいかないし、仮にこっそり練習しても向いてないものだから上達は期待できない。

それが卒業まで続くわけです。もう自分で読んでるだけで酸欠になりそうだわ笑。

 

この例えで言うところのクラスが、職場なのか社会全体なのかはそれぞれですが。

要するに中心メンバー達の流れについていけないというかね、そういう方々。

 

息苦しいですねぇ。とても息苦しい。生きてるのが辛い笑。

 

 

…これ、長くなりますね。回を変えて、もうちょっと続けましょうか。

 

 

今日も1日、お疲れ様でした(^^)

おはようございます。りょうきです(こっそり)。

 

お久しぶりでございます。あけましておめでとうございます。

 

夏以来ですか。長いこと放置したもんだ。

 

生きてますよ。だいたい靴磨いて喜んでます。

 

予備校の先生も当然ながらやってますけど、なんか相談業の方が忙しくて。

 

結構多かったですね。最近ちょっと途切れましたけど。

これ、もう副業にしようかな笑。

 

 

私は占い師じゃないんですけどね。ただ、できることも無きにしも非ず。

オリンピックやらなんやら、以前の投稿をご覧になってきてくれる人も多くて。

未来を視てほしいとか。今後どうなるかとか。

 

嬉しいんですが、実は個人的には未来透視みたいなのはそこまで得意じゃないんです。

過去の投稿の通り、係数次第で未来はすぐに変わるという考えの持ち主なので、その程度の考えでわかる範囲なんか知れてますから。

 

じゃあ得意分野。んー。

 

お祓いも苦手ですね。怖いし、結界もゆるいのしか張れません。

ヒーリングとかをご希望の方は、私の教え子でお医者さんがいっぱいいますので、そちらへどうぞ。その方がよっぽど間違いなく治ります。

 

ほら、ただの人だわ。

 

そのただの人がですね、ただお話を聞くんです。誰でもできるよ。

それでよろしければ。というか、むしろ私の暇つぶしに付き合っていただいてすみません笑。

 

お金は頂いてないんです。ない時間をわざわざ割いてるわけでもないしね。

これから頂くかもしれないけど笑!

 

確かに、やはりお礼をと仰ってくださる相談者様も多いですが。

最寄りの神社とかお寺にお賽銭を、あるいはご先祖のお仏壇にゴディバなどをどうぞとお伝えしています。今のところ、私は予備校での収入でちゃんと生活できてますので。

 

 

ところで。

 

小話。これ書こうと思って、久しぶりにブログ書いてるんです。

 

今出先なんですよ。九州に来てます。

 

1月の6日から9日まで来てて、1日だけ神戸に帰って、10日の夜からまた九州に来て。

 

その9日に神戸に帰った時。

 

帰ると夜でした。晩御飯作ろうと思って、鍋にトマト缶をあけたんです。

そこで気づきました。

 

水が出ない。

 

あれっと思って、他の蛇口も捻ってみる。どれも出ない。

 

 

凍結してました笑。

 

 

もうね、うっかりトイレも使えないですよ。

結局、神戸でホテル取って一泊しました。九州で泊まったホテルの神戸チェーン。

もう何しに神戸に帰ったんだか。で、そのまま再び九州に来てます。

 

幸い、明後日くらいから気温は10度を超えるそうで。

凍結の場合、水道管に破損がなければそのまま放置して融けるのを待つのも一つだそうです。

ゆえに放置。ゆっくり融けてたもれ。

 

この話を、今朝ある先生にお話ししたんです。笑ってくれました。

それを夕方になって、同じ先生に同じ話をまたしちゃって。笑ってくれました。

私は、笑えない笑。寒いと、アタマもちょっとアレになるみたい。

ちなみに、先述のトマト缶は、鍋にあけられた状態で鍋ごと冷凍されています。

 

まだもう暫く寒いので、皆さまどうぞお気をつけください。いろいろと。

 

せっかくなんで、最後にちょっと未来透視。

 

このタームが終わって神戸に帰るとき、どうやら私は冷凍庫のトマト缶を忘れてます。

で、新しく何か食材を買って帰る。トマトと関係ない食材ですね。で、帰って気づく。

あーはっきり視えますねー。この未来は避けられなさそうだわ笑。

 

 

良き1日をどうぞ(^^)

こんばんは。りょうきです。

 

 

相談室なんだけど、相談室の雑談とか。

ご相談の合間に、雑談的な話もします。

あと、メッセージ欄に飛んできた単発の質問とかも。

 

その中で出た話を、せっかくなので箇条書きで書いてみます。

 

 

 

1.第2波はあるのか

 

ある/ないを誰かに断じて欲しいお気持ちはわかりますけど。

ある/ないは、ウィルスが決めることです。

我々ができることをするしないは、別問題。

 

私は、あって欲しくないですが、あるつもりで考えてます。

一応下駄飛ばしをした結果、年末年始から3月まで赤信号と出ました。

あと、何かあるとしたら10月も。外れて大いに結構ですけど。

 

しかし、何月の何だろうと同じです。できる対策はしとかないと。

個人的には、入試がちゃんとあるのかが心配です。頭が痛い。

 

 

2.オリンピックはあるのか

 

そういえば、そんな話もありましたねぇ。

 

この予想も外れてくれて大いに結構ですが、ないと思います。

もう誰も話題にしないでしょう。話題どころか、誰の頭にもない。

 

好きな人を嫌いになり、嫌いになってもまた好きになることはありますが。

でも、完全に忘れた人をわざわざ思い出して付き合おうとはしません。

こういうのを「縁がない」と。日本は、オリンピックの縁まで無くなったようです。

 

 

3.滝行をしたい

 

真冬にもう一度ご相談ください。

 

 

4.生まれ変わるとしたら

 

まだ生まれ変わらないとダメですか(困惑)。

 

 

5.ぬいぐるみ相手に喋るのは、変か

 

いいと思いますよ。ただ、ぬいぐるみが喋ったらすぐにご相談ください。

 

 

6.これまでに仕事で最も辛かったことは

 

20人中17人が女子の中学生クラスを受け持った時、ある日突然女子だけ17人とも私のことを嫌いになりました。

後で聞けば、「特に理由なく嫌いになってみた」そうです。10ヶ月ほど続きました。

 

 

7.それをどうやって乗り切ったか

 

突然いわれもなく敵にされちゃって、私も意地になってね。

当時は数学も教えていたので、中2相手に微分と積分も教えてやりました。

 

こうなると意地の張り合いです。彼女らも謎の憎しみをもってついてきます。

結果、学校のテストの1次関数の問題を、彼女らは積分を使って解きました。

 

その後、ある日突然彼女らは普通に戻りました。中学生の女子って、本当に謎です。

結果として、複素数平面の拡大回転変換まで教えることができましたけどね。

3人の男子には、たいへん苦労をかけました。

 

 

8.何か一つ白状して

 

子供の頃は、逆上がりのできない子でした。

 

 

9.最近よくみるYouTubeは

 

たぬきのチャンネルがありまして 

https://youtu.be/nCvzexVCykc

 

 

10. 前世の記憶を、何か一つ

 

そのまた前世の記憶を何か一つと、前世であなたに聞かれたような...

 

 

11. 最近何にハマってる

 

いろねこ食パン。こういうのに弱い。

 

 

12. お料理は、どうやって覚えた

 

主にYouTubeです。あとレシピ本。

例えばナポリタン作ろうと思ったら、ナポリタンの動画を最低5本は見ます。

そのうちどれを真似るかも大事ですが、とりあえず5本ともに共通する要素を探します。

それが見えたら、その要素を大事にしながら、真似しやすい動画で真似します。

 

あとは練習。一品マスターするためには、しばらくそればかり作って食べるのがいい。

今日はナポリタンを作ってみて、明日は…だと、どれも上手にならないままです。

料理は、1回作るだけだとダメで、同じ料理ばかり連続10回は作らないと。

だからナポリタンならナポリタンで、目をつぶっても作れるまでナポリタンばかり毎日練習。

 

慣れるまでは、思いつきのアレンジはしません。

まずは「基準となるベーシックな味」を確実に出せるようになります。

それができるようになってから、思う限りでアレンジをしてみるのがいいです。

 

 

 

相談室の中では、しょーもない話も出るもので笑。

 

もちろん、公開してもいいとご了承を得たものだけ出してます。

むしろ、ぜひ公開してとおっしゃってもらったものだけ。

基本的に、私とのやりとりは、私と相談者様の間だけですので。

 

 

今日も暑かったですね。明日も、どうぞお気をつけて。

 

 

今日も1日、お疲れ様でした(^^)

こんばんは。りょうきです。

 

 

ドツボなう。その3。

 

 

厄年ってありますね。

 

あれは、実はアオムシからサナギ、あるいはサナギから蝶になる時期のことです。

それを神社風の暦で、男なら/女ならおよそこの時期に、みたいにドツボタイミングの平均値を表現しています。

だから、厄年ってだいたい20年周期でしょう?

 

人生の破壊と再生の時期には、それはそれはいろいろ起こります。

親族は死ぬし、自分が大怪我もするし、仕事だってクビになるし、三行半だって。

 

そういうドツボの嵐が、一定の周期で誰にでも来ることを昔の人は知っていて。

その嵐の時期を「厄年」と定義して、「そろそろ来そうな人」を対象に、君もそろそろだから心の準備をしておきなよ、と神社で儀式として行いました。

 

その儀式を「厄払い」と言いますが、厄は呪いではないので、そもそも祓えません。

その代わり、儀式という建前で、こういうものだよと神職が予め教えていたのだと思います。

それによって、本人はいくらか心持ちが楽になり、少しは心の準備もできるから。

 

 

ところで、今でも神社に行くと厄年表というのが貼ってありますが。

あれは、昔の人の人生を基準に計算したものがそのまま今も使われているので、現代人のドツボタイミングとは実はズレがあります。

 

男の場合、親が旅立つ+仕事クビ+三行半だとして、それは昔はおよそ40歳くらいで一度に来ました。

女性の場合は、例えば子供が幼くして旅立つこともあったと思いますが、それはだいたい女性が20歳手前くらい。いずれも、タイミングも中身も今とはだいぶ事情が異なります。

 

そうすると、現代人版の正確なドツボタイミング、つまり現代版の正確な厄年表は、実はどこにもありません。

つまり、現代人であるあなたの厄年がいつなのか、そしてその厄年に例えば何が起こるのかは、昔の設定のままの厄年表ではわからない。

よって、あなたがドツボにはまったなら、その年があなたの厄年であり、その時にあなたに起きていることが、あなたの厄です。

 

神社の厄払いを否定するわけではありませんが、そもそもこれは時代の違いがあまりにも大きく、かつ個人差も十分に大きいのでね。

振り返れば、私のドツボ年も、厄年表からは4年ズレてました。イマドキはそんなもんです。

 

 

もちろん、世の中には事故も偶然も、それこそ呪いの類もあるにはありますが。

 

事故によるドツボの確率は、限りなくゼロに近いです。

具体的には、サマージャンボの1等前後賞合わせて10年連続当選するくらい。

低いでしょう?もう誤差にすらならない。上のひとが、抜かりないからです。

 

御心配なさる方も多いので、せっかくですから書きますが。

 

呪いの類でドツボにはまる場合、実は本人に自覚症状がない。

ないどころか、本人はいたって快楽の最中にいることが多いです。

 

例えて言うなら、麻薬中毒みたいな感じです。

薬漬けになっている時、本人は楽しくて仕方ない。

実はドツボなのに、本人にはむしろ究極の快楽だったりします。

 

呪いの場合、本人の足で自ら地獄へまっしぐらに進んでもらわないといけないので。

本人が歩みを止めるような隙は、与えられません。

だから、ドツボだ苦しいと感じている時点で、呪いなどの類ではなく。

それにイマドキ呪いを本格的にかけられる人なんて、たぶんいない。

 

もしかして、あれですか。コンビニに売ってあるちょっと分厚い心霊系の漫画とか。

あれにはやれ呪いだ生き霊だとたくさん出てきますけどね。

 

あれはマンガです。話を盛らないと、誰も買ってくれません。

それにあの中に描かれていることが、あの中に描かれているほどに一般的だったら、日本の政治家の多くが、今生きていないはずです笑。

 

 

閑話休題。

 

 

ということで、その台風は、あなたの厄タイミングだったということで。

事故でも呪いでもないから、どうぞ安心してサナギになってくださいな。

 

サナギになるとどう面白いかというより、人が変わるとはこういうことかと自分で知ることができるのも、十分に面白いと思いますよ。

 

 

今日も1日、お疲れ様でした(^^)

こんばんは。りょうきです。

 

前回の最後に書きましたが。

やはり巡り合わせというのはあるんでしょうね笑。

 

 

その続き。ドツボの話。アオムシがサナギになるとか、そういう話。

 

 

昆虫のアオムシにドツボ嵐が来たら、泣いても笑ってもその子はサナギにならないといけませんが。

 

人間だけはしかし、自由意志というものがあります。

つまりドツボ嵐の次の姿として、人間だけは「サナギになることを拒否する」選択もできてしまう。

つまり人間だけが、サナギになるチャンスを意図的に受け流すこともできる。

 

これ、どうですか。魅力的に聞こえますか。

特にドツボの真っ最中の方なら、こんなに辛いならサナギになんかならなくていいと思うかもしれません。

 

とりあえず嵐は誰にでも等しく来るので、その嵐の後の姿は自身の選択になりますが。

仮にそこで、サナギになることを拒否してるうちに嵐が去った場合、どうなるのか。

 

 

簡単です。太ったアオムシになります。

 

 

サナギになるためのエネルギーを、アオムシでいることに使ったからです。

それはそれは巨大な、ブヨブヨのアオムシになってしまう。

 

ただ、それってどうなのかなと思いますね。

 

あまりの頑固さ、意固地さでもって、「うるさい!俺はこれでいいんだ!」と叫んでいるうちに、嵐だけがおさまって、なんとなく日常に戻っちゃった人。

あるいは、嵐から何も学ばずに、嵐の最中を器用に寝て過ごした人。

 

しかし中身はアオムシのままなので、思考も行動も言動も、アオムシのままです。

 

言葉を選ばずに言えば、いわゆる「イタい大人」ってこれのことかなと。

曰く肥大化した自尊心、ますます失いゆく謙虚さ、心は幼く、見た目は老いゆく。

 

そうすると、世の中には肥大したアオムシ氏って、意外と多いのかもしれない。

ひょっとして、偉そうに言ってる私もそうかもしれない笑。

 

 

 

アオムシ、サナギ、蝶は、それぞれ摂取する栄養が違います。

サナギが何かを食べるかどうかは知りませんが、アオムシは葉っぱを食べ、蝶は蜜を吸って栄養にするでしょう。

 

人間で言えば、これはおそらく幸せの定義が変わるということだと思います。

つまり何をすることで自身の幸せというか自身の養分にするかが、変わっていく。

何を身近に置けば、どんな人と一緒にいれば、どういう時間を過ごせば自分が機嫌よくいられるかが、大きく変わります。

 

 

そうすると、嵐を経験しておいてなお葉っぱを食べてる人って、どうでしょうね。

あるいは、嵐の最中に葉っぱを食わせろともがくことは、自らアオムシに留まろうとすることなのかもしれません。

 

私が嵐にあった時、アオムシでいようとは思いませんでした。

どうにかして引き続き葉っぱを食わせろとも思わず。

もっと悪いです。辛さが先行したことで、死のうとばかり考えてました。

ただひたすら嵐が辛かったので、葉っぱがどうこうと考える余裕もなかった。

当然ながら私の上がそれを許すわけがなく、おかげさまで生きてますけど笑。

 

で、嵐の最中にいろんな人に怒られたり教わったりしてるうちに、ふと気づけば自分の栄養分まで変わっていました。とりあえずアオムシではなくなったのかなとは思っています。

 

具体的に言えば、それまで何の興味も湧かなかったことに興味が湧いたり。

逆に、それまで熱心に追いかけていたものが、その程度のものかと思えるようになったり。

あんなに欲しかったはずのものを見て、俺はどうしてこんなものを追い求めていたんだろうと不思議になったり。

 

これもまた、カルマの解消の一つの形です。

同じものに対して、自身の反応が大きく変わる。

 

正直に言うと、今でも葉っぱが恋しくなる瞬間もないこともないですが笑。

でもこれも誤差か、あるいは良き思い出のようなものです。

 

 

今のあなたがもしも嵐ならば。

繰り返しますが、お辛いことは拝察しております。

でもちょっと考えて欲しいんですが。

 

 

いずれ蝶になることを見越してサナギになるも一つ、ブヨブヨアオムシになるも一つ。

 

でもブヨブヨアオムシって、見ててイタくないですか。

 

だから、今だからこそ葉っぱを求めてはいけない。

アオムシでいようとしてはいけない。

 

今良しとしていることがそうでもなくなり、今言えない言葉が言えるご自身の方が素敵です。

そしてそうなるためのタイミングならば、むしろ積極的にアオムシを捨てるくらいでいいんじゃないですかね。

 

 

今日も1日、お疲れ様でした(^^)