諸法実相… | フォゲットミーノットのブログ

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先日、実家祖母の一周忌法要がありました。
行年107歳で昨年亡くなった祖母ですが、「早一年が過ぎたんだ…」と、感慨深い思いもありますが、大往生で今世の生涯を全うできたこともあり、寂しいとか悲しいとかそういう思いは全くなく、すべてが自然の流れの中の出来事であり、遺された生きた証の子孫たちのそれぞれの人生に、本当になくてはならない人だったんだ…とは思いますね。


気性の激しい一面を持つ祖母でした。
私自身が若く、まだまだ未熟な頃は、苦手に思う人でした。


しかしながら自分が家庭を持ち、ご先祖のご供養に携わり、戸籍等で実家家系の持つ自分のルーツを調べるうちに、祖母の大きな役目、存在を知ってからは、祖母あればこそ、先祖あればこその自分であり、子孫
たちなんだ…と感慨深く、感謝の念が湧いてきたものです。




『妙法蓮華経方便品(ホウベンホン)第二より~』


……唯(タダ)仏と仏とのみ乃(イマ)し能(ヨ)く諸法(ショホウ)の実相(ジッソウ)を究尽(クジン)し給(タマ)へり。

所謂(イワユル)諸法の
如是相(ニョゼソウ)、
如是性(ニョゼショウ)、
如是体(ニョゼタイ)、
如是力(ニョゼリキ)、
如是作(ニョゼサ)、
如是因(ニョゼイン)、
如是縁(ニョゼエン)、
如是果(ニョゼカ)、
如是報(ニョゼホウ)、
如是本末究きょう等(ニョゼホンマツクキョウトウ)なりと。




(解説)

仏さまは「諸法実相」といって、すべての真実のありさまを究めつくしていらっしゃるのである。

その真実のありさまとは何だというと、これを「十如是(ジュウニョゼ)」という。

「如是」とは、「是の如し」ということである。

是の如し、それは永久に変わらないということである。

十の条件は世の中のありとあらゆるものが、十の条件をそなえなければ物は存在するものではない。

それはいつの場合でもそうである故に如是という。

「相」とは…
現れた相、すがたをいう。


「性」とは…
電燈は明るいというのが相であり、その明るいというのは電気が燃えているという、これが性である。
口を結んで険悪な顔をしている、それは相であり、それはその人が腹を立てて、クシャクシャしているという性質が現れたものである。


「体」とは…
それには相と本来の性質をそなえている物の実体というものがある。
それを体という。


「力」とは…
その体をそなえたものはそれぞれの力を持っている。
天井は室を覆う。
屋根は、雨を防ぐがごとき力を具有する。


「作」とは…
内に有するその力が外に現れて、はたらきとなる。
その現れたものが「作」で、作用というはたらきである。


「因」とは…
世の中のすべてのものには変化が起こる。
その変化が起こるには原因がある。
これを因という。


「縁」とは…
その変化が起こるには、周囲の境遇事情というものが縁となる。


「果」とは…
そこに現れた結果のことである。


「報」とは…
結果の後に残すはたらきが必ずある。

(例)マッチを摺(す)るというのが「因」。空気の中で摺るということが「縁」。火が出るというのが「果」。その火が物を焼く、
これが「報」である。


「本末究きょう等」とは…
本から末までということで、そのはじめ相、性、体、力、作、因、縁、果、報までの条件は「究きょうし等し」といって、どこへ行っても、いかなる物にも同等にそなわっているものである。
この十の条件をそなえずして存在する物は一つもないのである。
この十の条件を、すべてにおいて、遺憾なく調和的にそろえるようにつとめるということが非常に必要なことである……