わしは、祖父たちを守らねばならぬ。
国を思い、南の島で「紙」の雪を見ながら死んでいった、祖父の戦友たちも守らねばならぬ。
戦争は悪だ。
二度と戦争をせぬように、教訓として、いや「見せしめ」として、我らのじっちゃんたちに、ありとあらゆる罪をかぶせて、世界中から軽蔑されるように仕組んでやろう
。
そのように考える連中、マスコミ、左翼ジャーナリスト、市民団体、弁護士などの精神の卑しさとわしは戦う。
人は個人を越えねばならぬ時がある。
自分の身だけじゃすまぬ時がある。
わしは『ゴー宣』を描いていく中で、それを悟ってしまった。
愛する人のため、、、
家族のため、、、
多くの人々のため、、、
国のため、、、
戦わねばならぬ時がある。
ましてや「個人」は、社会のヨコ軸と歴史のタテ軸の交差する一点に位置する「個人」であり…
自分に連なる祖父たちを、単なる犯罪人同様に扱って切り捨てては、犬猫なみのケモノに落ちてしまう。
歴史を持つ者こそが“人間”だからだ!
はっきり言って、わしは善人でありたいとも、正義でありたいとも言ってない。
悪人と言われても、祖父たちを守ると言ってるのだ。
かつて戦った祖父母たちの上に…
日の本の島にも…
若い世代の情の雪を降らすのだ!
「成果がなければ、凡てが無駄であると論ずる者は、人の美しさ、日本の伝統を知り得ぬ者であろう…」
日本人の歴史の中で、育まれてきた美意識は、公正さの感覚、天に背く疚(やま)しさ、ご先祖さまへの敬意と畏れ、道を踏み外すことへの戒め、徳を積むことの大切さ、いろんな道徳観念を導き出したはずなのだ。
それは歴史のないアメリカや、歴史を断続させてきた中国にはない、日本が誇るはずのものであった。
これを失ったら、世界史上に日本という国が二千年の歴史を永続させてきた意義が失われてしまうと言えるほどの貴重な「公」
的観念であった。
そもそも歴史を喪失した者は「国民」ではない。
それはその時々の流行のイデオロギーに影響されるだけの浮遊民である。
、、、我々の先人たちが、いかに潔癖であったか、いかに道徳的であったか、日本の何を守ろうとしていたのか、理解して欲しい。
日本は独立しなければならない。
あくまでも最終事態を設定した自主防衛の構えを作らなければならない。
朝鮮半島、中国、台湾、ロシアという近隣諸国に限っても、将来の世界情勢が、どのように変化するかなど予測もつかない。
憂慮すべきは、我々の子孫が置かれる困難な境遇である。
道徳を捨てて、アメリカ依存で今日明日を生き延びてさえいればいいとしか考えない我々の世代など守るにも値しないが、かつて自力で欧米列強の侵略に抵抗した先人たちの思いを汲み、子孫に国際社会を主導していく知恵と力を獲得させるために、我々はリスクを背負う覚悟をせねばならないはずだ。
、、、つまり日本では「公」と「私」の逆転が起こっている可能性があるのだ!
なにしろ今の大人たちの態度はこうである
。
“イヤだ!行きたくない!国なんかどーだっていいもん!”
「私的」な幼児のような言葉を「公的」に発している。
少なくとも、そのだらしなさ、みっともなさに、若者が敏感に気づき始めたと言えるだろう。
歴史は二代途切れたら、民族は消滅する。
3世は、祖国の国のアイデンティティを取り戻そうとする傾向があるらしい。
孫は親が忘れようとしたことを、回復させようとする。
祖父の代と孫の代を繋げることができるかどうか!?
それが決定的に大事なのである!
この勝負は今しかない!
今が分水嶺だ!
国はもちろん、親のことだってどーでもいいという殺人少年が、続々現れているもう一方で…
祖父の代の記憶を取り戻そうという若者も出現している!
若者よ「公」の意識を覚醒させよ!
幼児並みの「私」をタレ流した大人に反逆せよ!
祖父の持っていた歴史を取り戻して、日本人に還るのだ!!
、、、かつて20歳前後の若者が、特攻機に乗って敵艦に体当たりしていった。
今、この国では、40も50も60もなった政治家の親父やじじいが、中国の脅し一発に震え上がって、その若者たちの魂が眠る靖國神社を公式参拝できない。
たった二礼二拍手一礼をすることができない。
わしはもちろん、わし自身も含めて、しょせんは戦後民主主義で育った人間だと思っている。
過去の『ゴー宣』を見ればわかることだが、そのことに気づくまでは、わし自身もろカタカナのサヨクだった。
わしは「反・左翼」「反・サヨク」「反・朝日新聞」の者たちも、しょせんは戦後の色に染められて、かつての日本人ではなくなっていると思っている。
とても戦前の人間たちにはかなわない。
それは特攻隊員の遺書の文字を見ただけでわかる。
台湾やマレーシアやインドネシアや南洋諸島に伝わる日本人の逸話を聞けばわかる。
現代に生きる日本人は相当に卑小である。
なにより自分を振り返ればわかる。
臆病で、見栄っ張りで、かっこつけていて、甘えていて、わがままで、助平で、人を騙してばかりで、けちで、姑息で、スケールが小さすぎる…
現代に生きる人間たちが、よく戦前の日本人を蔑(さげす)み、罵(ののし)り、罪を被せてばかりいられるもんだ。
本当に大したもんだ。
よっぽどの人格者なんだろう…でなければ真性の馬鹿に違いない。
わしは靖國神社に参拝して手を合わせる時、(日本を守りたいと思います…)と心につぶやき、その後は(安らかに…)としか願わない。
わしはせめて、自分が力ある者だと信じたいごーまんな男だから、死者に何をしてあげられるかを考える。
わしはそれを、自分の力で成し遂げるしかないのだ。
彼らは充分にこの国のために働いてくれた。
わしのためなんかに働かせるわけにもいかない。
彼らはきっと、迷いの淵にある現代日本の弱い人たちの願いを引き受けてくれていることだろう。
わしは自分の力で、彼らに恩を返さねばならない。
日本は「カミ」の国である。
そして「死者」の国である。
日本の国柄がそこから創られていることに、我々は気づかねばならない…
~小林よしのり氏の言葉より~