伊勢神宮に行かせていただきました。
新年1月の明け方の参拝は、かれこれ20年近くになりますね。
父たちの現役の時代には、子供ながらに伊勢参りとか伊勢講という言葉は知っておりましたが、何分見たことも行ったこともなければ、どんな神社なのかもわかりませんでした。
初めて参拝して、神社の敷地に足を踏み入れた瞬間のあの衝撃は今でも忘れません。
まるで異次元の空間にいるようで、ディズニーランドなどの人工物には感動もしませんが、同じ人が作ったにしても、日本の最古建築、唯一神明造のシンプルかつ厳かなお宮には、宮大工職人の魂込めた最高傑作の感動を覚えます。
お宮を取り巻く御神木や緑の木々、、、樹齢何百年の天高くそびえる木々を見上げると、たかだか百年しか寿命のない人間がちっぽけに見えてしまう。
いくら偉そうに傲慢に生きたとしても、神仏には畏敬の念を抱き、やはり自然に頭を垂れなければならないし、そうしてしまう、、、
神仏の力にかなうものなど何一つない。
私たちの知らない二千年の昔から、日本の行く末をず~っと見てきておられる歴史の生き証人である宮を取り巻く木々や、偉大なる神仏に守られての日本国であり、国民であると思わせていただきます。
初詣を始め、神社での参拝や祈祷、、、
お賽銭を払い、手を合わせ、神さまにお願い事をするのは人の常であります。
日頃、神道の信仰をしていなくても、神や仏を心から信じていなくても、やはり日本に古くからある八百万神の信仰、、、
山にも川にも、風や木など自然界のあらゆるものに神さまが宿るという、豊かな自然の恵みへの感謝と共生の思想が根底にあり、一神教という決まった宗教がなくても、あらゆるものを尊び認め、さまざまな神を共有することができる平和的民族日本人にとって神とは、空気のような存在かもしれません。
神さま仏さまの存在を物凄く信じてはいないけれども、神仏がいないとは言い切れない、、、
偉大な存在であると認めるからこそ、自然に神社で手を合わせ、願いを叶えてもらいたいとお願いしてしまうのでしょう、、、
伊勢神宮の空間にたたずめば、目には見えなくても神を明確に意識してしまいます。
自分自身の存在であっても、多くの先祖から思いを託された身である、子孫として生かされている、、、という感謝の思いと、すべて天から見られている、、、という畏怖の思い、、、
天照大神の御神体である御鏡に映った姿、神の目に映った自分自身が、神に恥じないか、神に正直に向かうことができるかどうか、聖地で神の目に自分をさらしたとき、気づきにくいものが見えてくるでしょう。
神社は、自然に感謝する心、自分を慎み、神を敬う心を想い出させる記憶装置でもある、、、といわれます。
神さまの前では、どんな肩書きも財力も通用せず、本来の自分でしかないということですね。
神さまの御鏡に自らの姿を映す、心静かに神前で手を合わせるとき、自らを振り返る貴重なときであると思います。
本で学びましたが、本来神社は感謝する所であって、私事をお願いする所ではないそうです。
新年を迎え、毎年のように健やかに安穏に幸多きことを望み願うのが人の常ではありますが、また自分自身のこと、自分の家族のみの幸せを望み願うこともそうですが、そのような一年を得るためには何を為すべきかを考え、自らの意志を持って、健やかで穏やかな良きことを日々重ね為す、、、
心で思い願う希望的感覚だけではなく、狭い範囲だけではなく、天皇陛下のように世の中のすべての人の安寧を願い、大きな心を持ってたくさんの善行功徳を確実に積み重ね、他の人に及ぼす、、、身を動かすことが一番の家族の平和になることでしょう。
自分だけ、、、とか、我が我が、、、の我見我欲の根性をぶら下げて生きていくことが一番遠回りになるのではないかな、、、と思わせていただきます。
新年早々、元旦から突風と雪の舞う荒れ模様の幕開けでした。
まず今年の世相を表していると思いました。
悪世末法の真っ只中にあって、現世の娑婆世界は、引き続き天変地異、自然災害、社会的人為的災害、悪疫病魔、人心の悪化など益々加速の一方を辿っています。
本来は科学、医学、技術の発達により、自然災害も悪い病気も事故も犯罪も減少するはずでありますが、さらに広い範囲で新たな災害被害が起こっています。
人間が煩悩欲により、自然界の、また社会全体の均衡を破り、返って人災であるという言葉が相応しい有り様でもあります。
苦しみや痛みを持って突然命断たれた、無念の思いを抱いておられる方々の魂は、意をくんでいただきたい、、、、存在を知っていただきたい、、、と願う限りなき思いがあります。
恐怖末世の実相は、救われない魂のその尋常でない思いを、人間の想像を超えるスピードで姿形を次々と変えていき、現世に生きている私たちに心の叫びとして表しているものだと聞きます。
のほほんと暮らしているだけが、ただ生きながらえているだけが人間の役目ではない。
大きな警鐘として受け止め、何を為すべきか、どう生きるべきか、神仏の偉大なる力を発揮するには、多くの者が神仏の意に添った生き方、行動をしなければ、叶うものでもない、、、
今年も自分も含めていろんなことが起きてくると思います。
しかしながら因果応報、、、起きることにはすべて意味があり、因縁因果もあり、霊界の神仏の計らいもあります。
謙虚と感謝を忘れず、自分のできることをするだけです。