「縁」とは不思議なものですね、、、
私はネット依存症でもなんでもありませんが、新聞やテレビでは得られない、ネットのおかげで知らなかった情報を得たり、いろんな思考の方がおられる中で、直接繋がりがなかった方とも自分と共感できる方がある、、、
また、尊敬できる考え方や生き方をされている方がある、、、
そんな方々と、ブログを通じて知り合うことができたことも、不思議な縁を感じますね。
この世に生まれてきた時より、「縁」を基に、自分の身の上にはたくさんの出来事が起きてきました。
「縁」とは、様々な深く濃い関わりを持つ引き合わせであり、人の人生の良し悪しは、八割ぐらいは「縁」で決まると言われています。
いつ、どのような人と、どのように引き合うかにより、人生を左右する、非常に大きなものにあります。
とりわけ、「縁」とは、人と人との続きあいが主にあります。
親子、夫婦、兄弟姉妹、親族、友人、知人、隣人、職場の上司、同僚、先輩、後輩、、、などであります。
それ以外の「縁」として、地面、学校、職場、病院などとの「縁」があります。
そして『良縁』は、
よく“恵まれる”と言われるように、
その「縁」により、助け合い、励まし合い、想い合い、支え合い、守り合うことにより、周囲のたくさんの方を安心に、笑顔に、穏やかに、豊かに、、、
幸せをいただけるものにあります。
互いに良き影響を与え合い、たくさんの気づき、成長を促すものにあります。
一方、この「縁」掴んだばかりに、、、
出会ってしまったばかりに、、、
という『悪縁』は、
常に心落ち着かず、心配、不安、嫉妬、執着、恐怖、罵声、、、が伴い、正しい心の運びができなくなります。
そしてその余波が、身近な人に悪影響となって、いろんなことが起きてきます。
仏さまの教えによると、
人生の苦悩となる『悪縁』を多く掴むのも、『良縁』に恵まれるのも、過去・過去世の自らの所業による因果応報にあると言われています。
世の中に数ある『仏縁』の中でも、絶対に間違いのない御教え、すべての「縁」を『良縁』に浄化させることができ、万霊の諸精霊を救い、助けることのできる、最高の正しき御教えが真の法華経にあります。
仏さまの御教えの器の中には、今までにはなかった、余りあるほどの多くの正しき悟りが、多くの正しき気づきが、山ほどに存在します。
法華経が、仏さまの真実の教えであるということは、僧侶でもない素人の私であっても、解説書を読めば理解できます。
しかしながら、法華経の経典を使用されている仏教宗派、新興宗教の団体は数あれども、それが正法であるか、否かはわからない信者がほとんどであると思います。
真の法華経の行者は、
“爪の上に残る砂のごとし、、、”
と言われています。
いくら信者数が多くても、巨大組織であっても、本仏の教えがわからなければ、人間臭い組織運営になり、法が曲がって伝わってしまいます。
仏さまの教えには、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄と言われるように、身と心を善に使うことにより、悪を善に変えることにより、過去世の罪が許される、罪滅ぼしができると説かれています。
そこに、新聞社であるとか、出版社であるとか、メディアでのPRであるとか、芸能人の広告塔であるとか、政治団体であるとか、商売が絡むことは必要でないと思いますね。
たくさんのお方が、自分の過去世の所業によって積んだ罪、因縁業障により苦悩されています。
世の中も、異常気象により世界各地で自然災害が起き、自然の中に身を置く限り、生と死は常に背中合わせにあります。
人間が自然の脅威に勝てるはずもありません。
益々悪世末法加速する、破壊の地球に命生かされています。
世を救う、人を救う、大乗の御教え法華経に、多くの方が『より良き仏縁』結ばれることを願ってやみません。
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