私たち煩悩多き凡夫は、事が起きないことが普通であると思っています。
朝目覚めてから、家族それぞれの一日が始まりますが、出かけていた家族が帰宅し、晩御飯を一緒に食べて、時間がきたら床に就くといった日常の繰り返しを、普通の当たり前のように思っています。
また、意識すらしていないことが多いです。
事故や病気や災難や人間関係の不和など、ひとたび事が起きると、右往左往してしまうし、ストレスもかなり溜まり、精神的にも不安定になりがちです。
しかしながら、事が起きないのが普通ではなく、事は起きて当たり前と捉えることによって、何が起きても動じないような人間に近づいていけると思います。
霊界や輪廻転生が信じられない人には、理解できないかもしれませんが、「仏の言葉に不実無し!」と言われるように、仏さまと言われる御方の魂は、大慈大悲のお心であり、善のみであり、智慧の宝庫であり、針の穴ほどの誤り、間違いもなく、一点の曇りもない正覚、悟りを会得された偉大なる御方であります。
ある方が言われていましたが、
「私は人間は信用しない!けれども仏さまは信じる。仏さまの説かれたお経(法華経)に書いてある言葉は信じる、、、」
私も人間の言葉は、すべて信用しているわけではありません。何故ならば、人間は良いことも悪いこともどちらもする魂を持っているからです。
もちろん自分自身も信用できません。
仏さまの教えでは、私たちは何度も何度も、生まれては死に、生まれては死に、、、の繰り返しをしています。
この世に生ある時に、良いことも悪いこともします。
人に迷惑をかける、騙す、足を引っ張る、誹謗中傷をする、苦しみを与える、危害を加える、恨まれることをする、幸せを奪う、不幸のどん底に落とす、、、
数え切れないくらいの悪の行為をして、罪をたくさん作っています。
過去、過去世(前世)というものは、自分には記憶がありません。
しかしながら、仏さまは見抜き見通しであるし、自分の癖やら根性によって作った悪行為は、悪業の因縁を作ります。
悪因縁は必ず、私たちの幸せの障りになります。
何度生まれ変わってこようが、地球の裏側に逃げようが、影のように因縁はつきまとってきます。因果の報いというものは、大なり小なりあれば必ず出てくるものです。
例えば、先祖の作られた因縁もあるし、私たち自らが作った、また家族ひとりひとりが作った因縁もあります。
因縁は相続すると言われます。
どこの家にもありますが、事故災難が多いとか、病魔が多いとか、子供が授からないとか、短命な者が多いとか、家が絶えるとか、お金に恵まれないとか、家庭不和であるとか、人間関係のトラブルが多いとか、、、
何がしかの悩み事はあると思います。
私の実家は、祖母の養父母(母親の弟夫婦)で家が絶えてしまうところでした。
とにかく、跡取りの子供や養子が短命、子供が授からない等の家を絶やす因縁があったのだと思われます。
嫁ぎ先は、お金に恵まれないとか、子孫にひきこもりや不登校者があり、社会性が乏しい、人の中に交わって関わっていくのが苦手な、そういう因縁があります。
どの家にも先祖と因縁はあるので、「うちの家は何にも言うことないねん、、、」という家は少ないと思います。
仏さまからみれば、人間は煩悩欲によって、癖根性によって簡単に悪業の罪を作り、自分の作った因縁の報いによって苦しみに悩まされる、愚かで哀れな者であります。
「何とかこの者たちを救ってやりたい、、、」と大慈悲心を起こされた仏さまによって、「今度は世のため人のために善行を施し、徳をたくさん積み重ねて、罪滅ぼししてこいよ!」と再び人間世界に生まれさせていただいた私たちであるそうです。
記憶にあろうがなかろうが、悪いことをたくさんしてきている私たちですから、因縁が働いて、事が起きることは当たり前のことであります。
毎日普通の生活を送れることが当たり前なのではなく、特別なことなのです。
仏さま、ご先祖の並々ならぬご守護の賜物であります。
当たり前じゃないことを与えられているということは、しないといけないことがあるから生かされているんだと言われます。
仏さまが滅度された後、その遺法が正しく伝承される期間を「正法世に住すること」といわれ、俗に『正法千年』ともいわれます。
「正法」の後、正法の形骸のみが伝承される期間を『像法千年』といわれます。
今は末法の真っ只中で最後の時、仏の正しい教法が破壊さるべき時期であり、『末法万年』といわれます。
仏さまは必要でないものは絶対に説かれません。
仏さまは、自分が滅度した後に悪世末法の時代が必ず来るから、その時代に生きる私たちのために、法華経という真実の教えを遺されているといわれています。
悪人を善人に変えることができる教えであります。
今の時代は善人が檻の中にいて、悪人がその周りを囲んでいるような状態です。
仏さまは、
宇宙、地球、世界、日本国土、仏国土の平和と安穏を誓願し、厭離穢土の恐ろしい汚い今の世界を涅槃浄土の建設、一切万物すべての者の即身成仏を願われています。
「良い世の中を作ってくれよ!」
と、一切衆生すべての者を済度する、世のため、人のため、国家大乗ため、社会のために働いてくれる人を求め、
悪世末法の時代に生かされている私たちひとりひとりに、
「お前たち、後の世に生きる者たちのために、この教えを広めてくれよ!頼むぞ、、、」と、
託されているんだと思います。
そのために諸経の中の王である法華経を遺されているのです。
人は何のために生まれてきたのか、、、
生きる指針が示されてあるので、迷うことや諸々の執着から段々離れていけるのです。
仏さまは、
「善いことをするのに迷うなよ!」
と言われているでしょうね。
ひとりひとりが、
「自分に出来る『善』を“コツコツ”《探して》行うこと」
を、日々の中で毎日毎日行ずれば、もっともっと喜び溢れる世の中に変わっていくでしょう。
<法華経の冒頭の文>
無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法
は百千萬劫(ひゃくせんまんごう)にも
遭遇(あい)たてまつること難(かた)し
我今見聞(けんもん)し受持することを得たり
願わくは如来の第一義を解(げ)せん
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