千五百年続く「日別朝夕大御饌祭ヒゴトアサユウオオミケサイ」
伊勢神宮の外宮には、天照大神の食事を司る神、豊受大神トヨウケノオオカミが祀られていますが、
ここに「御饌殿ミケデン」という神様の食堂があります。
ここで毎日、朝夕の二度、一年中、休みなく、天照大神や豊受大神ら大神さまに食事を供えることが、鎮座以来千五百年、
“一日も絶えることなく”
行われている、神宮で最も古い「祭」なのです。
これを「日別朝夕大御饌祭」といわれています。
出仕する神官は五名で、前日の夜から外宮の斎館に泊まり、精進潔斎して身も心も清め、翌日の早朝、外宮の山中を五百㍍ほど入ったところにある上御井カミミイ神社の湧き水を汲んできます。
次に、太古さながらに木と木をこすって忌火イミビといい聖なる火を起こします。
その火と水を使って神田でとれたお米でご飯を炊きます。
お供えにはおかずもつくって供えます。
おかずは神さま用の農園「神宮御園」でとれたものしか使わないのです。種をまくときから「神さま用として」という真心の品なのです。
神宮にお供えする野菜や果物は、全部神宮内で栽培しています。
また、おかずをのせて毎日お供えする「かわらけ」も、神宮に土器製造所が設けられていて、そこで焼いてつくります。
塩も、海からとったミネラル豊富な自然の塩が供えられています。
大御饌祭で出す食事には、水も塩も御飯も神宮の専用の場所で、自然のままの作り方をし、この食事を朝な夕な神職たちが、儀式にのっとって厳かに出されるのです。
それは
「ご皇室をはじめ日本の全国民が、今日一日、食べ物で不自由がないように…」
との祈りが込められています。
それも前日の晩から泊まって、自分のためではなく、国民が幸せであるようにと毎日お祈りをしているのです。
千五百年前は、日本人は一日二食でしたので、神さまは今でも毎朝夕の二回です。
このお祭りは外宮だけで行われており、戦時中、空襲で焼夷弾がたくさん落とされた次の日の朝も、伊勢湾台風の翌朝も、その他多くの苦節の折も、欠かさず毎日行われてきているのです。
毎日の献立や神官の名の記録まで残されています。
真心を込めて神に仕えるとは、食事ひとつとっても、こういうことなんだとわかりました。
小林よしのり氏の「わしズム」にも、漫画でこの大御饌祭のことが載っていましたが、よしりん氏も言われています。
そこには近代合理主義のかけらもない。
毎日、食事ができることへの感謝を表わすために、この祭は継承されてきたのである。
世界の国々、発展途上国では、飢餓で苦しんでいるたくさんの国民がいるのが現状である。
アジア、アフリカの国々では、今も子供が飢えで亡くなっているのだ。
我々は豊かになり過ぎた。大量生産・大量消費の近代合理主義は、牛肉までも、早く、安く誰にでも食べられるものにしてしまった。
ファーストフードは偽りの食生活である。
そして一般家庭においては、子供にろくな手料理も作れぬ母親が大量生産されている。
そんな日本の現状の中、神官たちは、だれも見ていないところで、気の遠くなるような、静かな情熱を堅持し、祭りごとを続けているのだ。
その神道の頂点に立つのが天皇である!
天皇は、カミと人間の間の媒介者、祭祀王である。
天皇は、古代からのメッセージを未来に伝達していく重要な使命を担っている……
本を読むまで何も知りませんでした。
私たち国民一人ひとりの祖先であるところの伊勢神宮の神さま。
“真心をこめる”とはどういうことなのか、日本人の原点とは…
この神宮からのメッセージを学びたい
つづく……