泳げない川になったのは…?③ | フォゲットミーノットのブログ

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シャボン玉石けんの前社長故森田光徳氏ですが、



1970年代始めまで、合成洗剤を製造、販売し、売上も伸ばしていました。



その頃、氏は高度成長期の1961年ごろから毎年、体にできる赤い湿疹に悩まされ、様々な療法を繰り返す日々だったそうです。



しかし、なかなか治りません。
諦めかけていたその時、国鉄(現JR)から「合成洗剤で機関車を洗うと、どうしてもサビが出る。天然油脂で作る純度の高い石けんで試してみたい」と注文が入ります。



そこで、高純度の粉石けんを作り、その試作品を試しに自宅の洗濯や浴用に使ってみると、嘘のように湿疹が治ったのです。



10年来の悩みが消え、氏は喜ばれますが、持ち帰った試作分が無くなり、自社製品の合成洗剤を再び使うと、又湿疹が出てしまったのだそうです。



そこで、長年悩み続けた湿疹の原因が、自社の主力商品である合成洗剤だったと知り、氏は大変ショックを受けます。



合成洗剤からの完全撤退は会社にとっては大ばくち。氏は経営の先行き、社員の生活のことを考え、悩みに悩みましたが、



「身体に悪いとわかった商品を売るわけにはいかない」



と一大決心。
1974年に全面的に無添加石けんの製造、販売に切り替えるのです。



当時は今日のような自然派志向の時代ではなく、合成洗剤より割高な「石けん」が、そう容易く社会に認められるはずもなく、



当時、売り上げは月8千万円あったのが、合成洗剤を止め、石けんに切りかえた翌月の売上は78万円。売上が100分の1まで落ち、業績の上がらぬ会社を見限り、100人いた従業員もわずか5人になったそうです。



その後、経営は17年間赤字が続き、それでも氏は経営方針を変えずに、かたくなに「無添加石けん」を作り続けました。




それは、頑固なまでの


「安心・安全なものを求めるお客様のために」



という信念からだった。



氏は信念を貫くために必死に生きてこられ、



「無添加石けん」が世間で見向きもされない時、商品サンプルを一万袋作り、北九州の繁華街で道行く人に手配りし、使用後の感想を聞くために返信用ハガキも付け、また「自然流『せっけん』読本」などを著すとともに、2000年頃には年間100回の講演をこなしたといわれます。




そんな氏を傍で見続けておられた息子である三代目社長が言われます。



私はあらゆる機会を通して、消費者の方に真の「無添加」とは何か。

そして、真の「無添加石けん」がどれほど素晴らしくて、環境のために、また後の世のためになるかを全社挙げて、訴えていきたい。



つづく………