原爆投下され、たくさんの国民が苦しんで亡くなり、
又終戦記念日もお盆の最後にあります。
昔は老衰で亡くなる、木が枯れるように、家族に看取られ、畳の上で人生を終える人が多かったと思いますが、
そうでない方…
戦死、虐殺死、虐待死、革命死、難民死、餓死、事故死、自死、災害死…
無念の思いで苦しんで亡くなった方が今いかに多いか…
亡くなった方が皆すぐ成仏される、皆天国に行かれるとは思いません。
それなら、慰霊祭も、お坊さんも、ご供養も、お経も、鎮魂の行事すべて必要ないということですし…
今の世の中見ても、段々悪くなっている状況見ても、亡くなった方の荒れ狂う、怒りの思い、もっともっと生きたかったと、悲痛な叫びの思いが何らかの警鐘を鳴らしているような気がしてならない。
世界各地にこれだけ地震や洪水や旱魃が起き、早い時期に台風も来るし、災害も多くなり、地球温暖化で異常気象による被害もたくさん起きる…
そのたびに国土もどんどん破壊されていき、人々も一度に数多く亡くなる。
人の心も悪くなる一方で、
自分さえ良かったらいいと人の痛みも分からず、平気で相手を苦しめたり、精神的に追い込んでしまう。
誰でも良かったと通り魔や無差別殺傷に走る。
政治家も教師も、警察官でも、公職にある人が悪いことをする。わいせつ行為やストーカーやら痴漢やら、定年前になった人でも、しょうもないことで、人生を棒に振る。
家族もバラバラ、親の面倒さえみない、遺体の引き取りさえ拒否する子供…
数えあげたらきりがないぐらい、人の心がおかしく、病気になってしまっている今の世の中です。
お盆にお墓参りに行かず、海外旅行にバカンスにと自分達の楽しみにのみ、お盆休みを使ったり…
人としてすべきことをして、片方で家族団欒もいいんですがね。
私の周りの人でも、先祖供養?興味ないわとか、お経をあげたりそんなん嫌いやわと言われる人も案外多いです。
誰から生まれてきたんや?、木の股から生まれてきたんか
と言いたくなる時があります。先祖を敬い、日頃のご守護ご加護に感謝し、無念の思いを鎮め、落ちつかせ、慰め、あの世で穏やかに安らかになってもらい、世の中に善い方に働いてもらえるように、子孫がご供養してあげないと、誰が自分の先祖を救ってくれるのか?と思った時に、お坊さんじゃなく、自分達がしなければならないことなんやと思います。
昔のおじいちゃん、おばあちゃんたちが、日本人として日常当たり前にしてこられた先祖に手を合わすこと。
苦しい時の神頼みでは決してない、ご先祖への感謝、又鎮魂ということを、今一度考えてみる。
信仰は自由かもしれない。しかしながら子孫として先祖供養、親孝行は時代が変わっても、絶対しなければいけないことであって、子供たちに伝え残さなあかん一番大事なことなんやと、今のおかしい世の中見て、自分にも言い聞かせているこの頃です……。
辛い嫌なことあれば、別れて実家に帰ってきたらいいと簡単に言われる親があります。
孫を連れて戻ってきたら、喜ぶ親がいます。
あぁブランド物や、グルメや、新製品が出たら、寝袋もって行列並んでまでのほしいほしい病や、韓流や、ヨン様やといい歳した親がのめり込んで、
子供に親孝行や先祖供養も伝えない。
自分等は歳いったら老人ホームでも行ったらいいんや。子供は自分のしたいように人生を生きればいい!と言われる親もありますが、
子孫がいるのに無縁仏みたいに先祖をしてもいいはずがない。
何の為に生き延びてくださったのか、
今何が大切なのか、
どんな意味があって生かされているのか、
大いに考えてみる八月かもしれない。