父が亡くなってから生理周期が乱れがちになった。


12月下旬、生理予定だったにも関わらず結局来たのは、年が明けて1月9日だったあせる

もう少しまって生理が来なかったら、病院行こうと思っていたので良いのか悪いのか・・・


とりあえず、来たから良しとしようっ!!


そんなこんなで、D11。

色々乱れがちのため、基礎体温も測っておりません・・・目テヘ


排卵検査薬を使い始めてみた・・・

昨日の夜、うっすらと反応しつつある。


でも、こんな生理遅れて卵ちゃん大丈夫なのかしら・・・はてなマーク

ちょっと疑問。

とりあえず、夜寝れないことが多いので、自分の体調を整えつつ子作り再開したいと思ってますビックリマーク


ただ一つ・・・ラブなtimeが義務化してきているのが悩み・・・えっ

私から誘うのもソロソロきつい。

いや、誘わないとドンピシャにするの難しいけども。

ナチュラルにラブtime送るのってどうしたらいーんだろはてなマーク

最近、実家でオチャラケているから自分を見失い気味・・・


女性ホルモン分泌しなくちゃっあせる

11月2日。


明け方4:30頃、母からの電話で起きる。

こんな時間に電話が鳴ること自体ないし、父が入院してから携帯の音が怖くてたまらなかった。


嫌な予感がする中電話に出ると、

 ・病院から電話があった。

 ・すぐに危ないわけではないけど、咳が止まらないので個室に移る。

 ・今すぐ一応来てください。

と言われたらしい。


とりあえず、私の旦那の運転で駆けつける。

明け方で道も空いていたので、いつもより早くついた。それが5時過ぎ。


個室に移動したことは分っていたけど、場所が分らないのでナースステーションで確認。

父のいる部屋に通された。


そこにいた父は、とても苦しそうに呼吸をしていた。

モニターを見ると、酸素濃度が今までに見たことのない70台まで下がっている。

そうとう苦しいはずだけど、モルヒネの副作用か意識混濁していたものの、呼ぶと反応してくれていた。

左側に兄、右に母と私。

ちゃんと右も左も見てくれた。


私は布団に入れられていた父の右手を握ろうと思い、少し布団をまくったら父が「寒い」という。

それはもう、はっきりと。


そこからあんまり記憶がないけど、ひたすら父を呼ぶ。

何度も意識をこちらに戻して目を開けるよう呼びかけて、父を触った。


途中で母と場所を交替して、母が手を握り私は父の目を見ながら肩をさすった。

父が握っていた母の手を振りほどき、人工呼吸器?(酸素送りこむ袋みたいなやつ)を

やってくれていた看護師さんの腕をつかんだ。

(今思うと、この行動は「もう苦しいからやめてくれ」ってことだったのかな・・・とも思う。)


病院到着から2時間30分位経っただろうか、父の顔が2回ほど歪み痛そうだった。

何か言いたそうだったが、声にならないし酸素吸入器を付けていて分らなかった。


そのあとは呼吸数が極端に落ち、酸素濃度も40や30とありえない数値を出していた。

目を見ていた私は父の瞳孔が反応しなくなったのも分かった。

そして、心拍停止のドラマでしか聞いたことのない「ピー」という音が聞こえてきた。


暫くして担当医が病室へ入ってきて、脈と瞳孔の確認をし亡くなったことを告げられた。


11月2日 7時50分 父が永眠 最後の言葉は・・・「寒い」だった。


まさか、こんなことになるとも思っていなかった私たちは、父の洋服も持っていなかった。

病院で着ていた物しかないから、仕方なく看護師さんにそれに着替えさせてもらうことになった。


父は、お風呂も入り頭も洗ってもらったようでさっぱりしていた。

父を連れて帰るのはいつでも良いと言われていたが、早く自宅に帰りたいと言っていたので

準備が出来次第、すぐに病院から出ることにした。


通常のエレベーターではない奥のエレベーターから婦長さんと家族で霊安室まで移動した。

そこでお線香をあげた。

父の事を気にかけてくれていた看護師さんが朝から出勤しているということで、最後会ってもらいたくて

無理を承知でお願いしたら霊安室まで来てくれた。

泣きながらお線香をあげてくれて、きっと父も安心しただろう。


その日は、親戚の対応とかしていて父の死を考えることがなく一日が終わってしまった。

きっとこの日の事はずっと忘れないだろう。

今でも目を閉じると父の顔が浮かぶ。

枯れるほど流したはずの涙も、今でもふとした時に流れ出る。


あれから2カ月が経ったけど、未だにひょっこりと父が帰って来そうな気がしてならない。

父の事が大好きだし、尊敬している。


ありがとう、お父さん。大好きだよ。

父の死後、現実を受け止められずブログやってませんでした。

まだ実感わかないし、なんかフワフワした感じだけど、再開しよーかな・・・。




2012年11月2日 7時50分

父 61才 永眠。

病名『特発性間質性肺炎』


11月1日、いつも通り母と午後からお見舞いに行った。

夕方先生からの話があるということで、個室へ通される。


そこで、私は初めて父の胸部CTを見た。

9月9日に入院した時から11月1日までのもの、すべて見せてくれた。

知識ゼロの私にもわかるほど、父の肺は白くハチの巣のようになっていた。


この日、私が先生の話を聞いたのは2回目。

以前は9月11日に、ICU入る際に治療の流れを聞いた。

それだけでも、私の頭はパニックだった。

でもそれよりもはるかに悪い話だったんだ・・・この日は。


結論から言うと、ステロイドパルス(ステロイドを集中して投与する)も2回目を行ったが効果が見られないということで

これ以上の治療法がないってこと。

既に胸の痛みを訴えているからモルヒネで少しでも痛みを和らげてあげたらどうか?ということ。


専門医にそこまで言われちゃ、そうするしかない。と思った。

だって、国に指定された難病だもの。

治療法がないんだもん。しょうがないじゃん。って。

先生も「すぐにどうこうというわけじゃないけど、覚悟はしてください」って言うし。

だったら、少しでも痛みを取ってあげたいと思うじゃん。


結果、夕方からモルヒネ(少量)の投与が始まった。


先生との話の間、私は涙を堪えることが出来ずひたすら泣きっぱなし。

父にそんな顔は見せられないので、トイレで一呼吸・・・個室に入った瞬間、

私の体が緊張?ストレス?で硬直・・・数分痛くて動けなくなった。


父の所へ戻り身の回りのコトしてたら、ふと父が問いかけてきた。


「先生あと何カ月って言ってた・・・?」


私は何て答えていいか分らなかったけど、とりあえず

「そんなの言われてないよ。分るわけないじゃん。」と答えておいた。

数分後、同じ質問を母にしていて、母も同じ答えだった。


誤飲してはいけないということで、食事をしていなかった父に何か食べさせて

少しでも体力をつけてほしくて先生に許可をもらった。

というより、半ば強引ではあったけど、看護師立ち会いの元であればプリンやゼリー、

スープの上澄みならOKとのこと。

父に言ったら、「いらない」と一言。

父の大好きな卵スープは?と聞くと、少し考えて「飲む」と言う。


明日、母手作りの父の大好きな卵スープを持っていくことになり、

これで少しでも元気になるかなと希望を持つことが出来た。

先生の話もあり、この日はいつもよりも遅くまで病院にいた。


帰ろうとすると父が寂しそうな顔をしたり、シカトしたりするので、なんだかんだ18:30頃までいた。


帰り道を心配する父は、

「そろそろ帰りな。良いよ。気をつけてね」と私たちを送った。

私もそんな父に、「また明日ね」と手を振って帰った。


11月1日は本当に普通だった父でした。。。