11月2日。
明け方4:30頃、母からの電話で起きる。
こんな時間に電話が鳴ること自体ないし、父が入院してから携帯の音が怖くてたまらなかった。
嫌な予感がする中電話に出ると、
・病院から電話があった。
・すぐに危ないわけではないけど、咳が止まらないので個室に移る。
・今すぐ一応来てください。
と言われたらしい。
とりあえず、私の旦那の運転で駆けつける。
明け方で道も空いていたので、いつもより早くついた。それが5時過ぎ。
個室に移動したことは分っていたけど、場所が分らないのでナースステーションで確認。
父のいる部屋に通された。
そこにいた父は、とても苦しそうに呼吸をしていた。
モニターを見ると、酸素濃度が今までに見たことのない70台まで下がっている。
そうとう苦しいはずだけど、モルヒネの副作用か意識混濁していたものの、呼ぶと反応してくれていた。
左側に兄、右に母と私。
ちゃんと右も左も見てくれた。
私は布団に入れられていた父の右手を握ろうと思い、少し布団をまくったら父が「寒い」という。
それはもう、はっきりと。
そこからあんまり記憶がないけど、ひたすら父を呼ぶ。
何度も意識をこちらに戻して目を開けるよう呼びかけて、父を触った。
途中で母と場所を交替して、母が手を握り私は父の目を見ながら肩をさすった。
父が握っていた母の手を振りほどき、人工呼吸器?(酸素送りこむ袋みたいなやつ)を
やってくれていた看護師さんの腕をつかんだ。
(今思うと、この行動は「もう苦しいからやめてくれ」ってことだったのかな・・・とも思う。)
病院到着から2時間30分位経っただろうか、父の顔が2回ほど歪み痛そうだった。
何か言いたそうだったが、声にならないし酸素吸入器を付けていて分らなかった。
そのあとは呼吸数が極端に落ち、酸素濃度も40や30とありえない数値を出していた。
目を見ていた私は父の瞳孔が反応しなくなったのも分かった。
そして、心拍停止のドラマでしか聞いたことのない「ピー」という音が聞こえてきた。
暫くして担当医が病室へ入ってきて、脈と瞳孔の確認をし亡くなったことを告げられた。
11月2日 7時50分 父が永眠 最後の言葉は・・・「寒い」だった。
まさか、こんなことになるとも思っていなかった私たちは、父の洋服も持っていなかった。
病院で着ていた物しかないから、仕方なく看護師さんにそれに着替えさせてもらうことになった。
父は、お風呂も入り頭も洗ってもらったようでさっぱりしていた。
父を連れて帰るのはいつでも良いと言われていたが、早く自宅に帰りたいと言っていたので
準備が出来次第、すぐに病院から出ることにした。
通常のエレベーターではない奥のエレベーターから婦長さんと家族で霊安室まで移動した。
そこでお線香をあげた。
父の事を気にかけてくれていた看護師さんが朝から出勤しているということで、最後会ってもらいたくて
無理を承知でお願いしたら霊安室まで来てくれた。
泣きながらお線香をあげてくれて、きっと父も安心しただろう。
その日は、親戚の対応とかしていて父の死を考えることがなく一日が終わってしまった。
きっとこの日の事はずっと忘れないだろう。
今でも目を閉じると父の顔が浮かぶ。
枯れるほど流したはずの涙も、今でもふとした時に流れ出る。
あれから2カ月が経ったけど、未だにひょっこりと父が帰って来そうな気がしてならない。
父の事が大好きだし、尊敬している。
ありがとう、お父さん。大好きだよ。