すでにかなり話したけど、インセプションを観てきた。それで、早く感想書こうとは思ってたんだけど、昨日は相棒が書いてたんで、今ごろになって書いてるってわけ。
とりあえず多少のネタバレを承知の上であらすじを書くと、夢の中に入って行って、対象の潜在意識に植え込み(インセプション)をしようとするってストーリー。今回の対象は「世界的大製薬企業の御曹司」、彼に植え込みたいのは「父親の築いた会社をツブす」っていう思い。そこで、主人公たちは対象に「父親が実は自分が生きたいように生きろと考えていた」という潜在意識を埋め込もうと考える。
もうこれ以上は、実際に映画を見て貰わなきゃ世界観を理解してもらえないとおもうけど、この映画が前提としているのは夢の階層性だ。つまり、夢の中で夢を見る。夢の中の夢で夢を見ることもできる。そうして深く潜るとより潜在意識に訴えかけることができる。ついでに、深く潜れば潜るほど脳が活性化するから、より深い夢においては(現実世界ではわずかな時間ではあっても)何年間、下手をすれば何十年間過ごすことも可能になる。それゆえ、対象とわずかな時間でも一緒に眠りに落ちれば、対象と長時間接触し、その潜在意識に働きかけることができるというわけだ。
これだけだとなんかSFみたいな話で終わってしまうのでけれど、ディカプリオ演じるコブにもなかなかのストーリーが用意されているし、いろいろヘンなところはあるけれど(なぜ御曹司のロバートは敵対企業に買収された飛行機に乗り込んだのかとか、なんで渡辺謙演じるサイトーは手榴弾が使えるのかとか)結構細部まで造りこまれているのは圧巻で、スゴイ楽しめる作品でした。
で、以下友だちから聞かれたので、最後のシーンについての自分なりの考えを。(観てない人は無視して)
最後のシーンってのはトーテムが回り続けてる、つまりまだ夢にいるってことについてなんだけど、これからはいくつかの可能性が導かれる。
①それまでの階層(すなわち一、二、三いずれかの階層)に目覚めているに過ぎない。ところがその場合、階層性の前提に基づけば、目覚めるのは着水した車の中(一階層)、ホテルのエスカレーターの中(二階層)、雪山の病室の前(三階層)のいずれかの場所なはずであり、フライト(現実の階層)に目覚めているのと符合しない。
②「虚無」に落ちた。しかしコブの解説によれば虚無に落ちると潜在意識の中を無限ループするはずであり、新しい状態すなわち子供たちとの邂逅が生れていることと符合しない。
③サイトーと会った後、さらに一階層潜った。これはコブはどこでサイトーをサルベージュしたのかという問題とも絡む。サイトーは三階層でおそらく昏睡状態に陥って、四階層に落ちていた。しかしその四階層はあくまでサイトーの夢である。その証拠に冒頭に出てきたのと同様のサイトーのイメージする建築が築かれている。コブはモルがロバートを連れていったことから、ロバートを追いかけて自分の夢(四階層)に潜っていた(つまりここでは偶然にモルが媒介となってロバートの夢とコブの夢とが一致した)のだから、コブはモルと別れることを決めてから一度三階層に目覚め、サイトーの四階層に潜ったことになる。(ここでサイトーコブの四階層が一致していた可能性を指摘することもできるかもしれないが、だとすればサイトーはあまりにも歳を取り過ぎていると言うべきだろう。コブが三階層に一度戻ってサイトーを見つけ、そこに再び潜るのに時間を要したと考えれば、サイトーはその間四階層でかなり長い時間を過ごすことになり、整合性がとれる。)そして、彼らは現実に戻るという宣言とは裏腹に、五階層に落ちて自分たちのハッピーエンドを夢想したのかもしれない。この場合には、彼らの宣言との齟齬が問題になる。
④フライト(現実)がすでに一階層であった。夢から覚めてもまだ夢という可能性である。これは最も無難な解釈ではあるけれど、結局四階層潜っていることになり、三階層潜るとしていたプランニング(この段階ではトーテムが現実であることを示していた)と矛盾してしまう。しかも、そうだとすればいかにロバートと接触し、眠りに落ちたのかということが大きな問題として描かれることになってしまうだろう。
こうして、いずれの解釈も完全とは言い難い。ゆえに、最後にトーテムが回り続けるのは、ノーラン監督の(まるで『告白』の最後の「なーんちゃって」みたいに)「この世界って果してリアルなのかなぁ」というメッセージなんじゃないかと解釈するのが一番適当なんじゃないかと思ってる。
まぁみんな見てみて、おもしろいから
とりあえず多少のネタバレを承知の上であらすじを書くと、夢の中に入って行って、対象の潜在意識に植え込み(インセプション)をしようとするってストーリー。今回の対象は「世界的大製薬企業の御曹司」、彼に植え込みたいのは「父親の築いた会社をツブす」っていう思い。そこで、主人公たちは対象に「父親が実は自分が生きたいように生きろと考えていた」という潜在意識を埋め込もうと考える。
もうこれ以上は、実際に映画を見て貰わなきゃ世界観を理解してもらえないとおもうけど、この映画が前提としているのは夢の階層性だ。つまり、夢の中で夢を見る。夢の中の夢で夢を見ることもできる。そうして深く潜るとより潜在意識に訴えかけることができる。ついでに、深く潜れば潜るほど脳が活性化するから、より深い夢においては(現実世界ではわずかな時間ではあっても)何年間、下手をすれば何十年間過ごすことも可能になる。それゆえ、対象とわずかな時間でも一緒に眠りに落ちれば、対象と長時間接触し、その潜在意識に働きかけることができるというわけだ。
これだけだとなんかSFみたいな話で終わってしまうのでけれど、ディカプリオ演じるコブにもなかなかのストーリーが用意されているし、いろいろヘンなところはあるけれど(なぜ御曹司のロバートは敵対企業に買収された飛行機に乗り込んだのかとか、なんで渡辺謙演じるサイトーは手榴弾が使えるのかとか)結構細部まで造りこまれているのは圧巻で、スゴイ楽しめる作品でした。
で、以下友だちから聞かれたので、最後のシーンについての自分なりの考えを。(観てない人は無視して)
最後のシーンってのはトーテムが回り続けてる、つまりまだ夢にいるってことについてなんだけど、これからはいくつかの可能性が導かれる。
①それまでの階層(すなわち一、二、三いずれかの階層)に目覚めているに過ぎない。ところがその場合、階層性の前提に基づけば、目覚めるのは着水した車の中(一階層)、ホテルのエスカレーターの中(二階層)、雪山の病室の前(三階層)のいずれかの場所なはずであり、フライト(現実の階層)に目覚めているのと符合しない。
②「虚無」に落ちた。しかしコブの解説によれば虚無に落ちると潜在意識の中を無限ループするはずであり、新しい状態すなわち子供たちとの邂逅が生れていることと符合しない。
③サイトーと会った後、さらに一階層潜った。これはコブはどこでサイトーをサルベージュしたのかという問題とも絡む。サイトーは三階層でおそらく昏睡状態に陥って、四階層に落ちていた。しかしその四階層はあくまでサイトーの夢である。その証拠に冒頭に出てきたのと同様のサイトーのイメージする建築が築かれている。コブはモルがロバートを連れていったことから、ロバートを追いかけて自分の夢(四階層)に潜っていた(つまりここでは偶然にモルが媒介となってロバートの夢とコブの夢とが一致した)のだから、コブはモルと別れることを決めてから一度三階層に目覚め、サイトーの四階層に潜ったことになる。(ここでサイトーコブの四階層が一致していた可能性を指摘することもできるかもしれないが、だとすればサイトーはあまりにも歳を取り過ぎていると言うべきだろう。コブが三階層に一度戻ってサイトーを見つけ、そこに再び潜るのに時間を要したと考えれば、サイトーはその間四階層でかなり長い時間を過ごすことになり、整合性がとれる。)そして、彼らは現実に戻るという宣言とは裏腹に、五階層に落ちて自分たちのハッピーエンドを夢想したのかもしれない。この場合には、彼らの宣言との齟齬が問題になる。
④フライト(現実)がすでに一階層であった。夢から覚めてもまだ夢という可能性である。これは最も無難な解釈ではあるけれど、結局四階層潜っていることになり、三階層潜るとしていたプランニング(この段階ではトーテムが現実であることを示していた)と矛盾してしまう。しかも、そうだとすればいかにロバートと接触し、眠りに落ちたのかということが大きな問題として描かれることになってしまうだろう。
こうして、いずれの解釈も完全とは言い難い。ゆえに、最後にトーテムが回り続けるのは、ノーラン監督の(まるで『告白』の最後の「なーんちゃって」みたいに)「この世界って果してリアルなのかなぁ」というメッセージなんじゃないかと解釈するのが一番適当なんじゃないかと思ってる。
まぁみんな見てみて、おもしろいから






