人は時に、合理的に計算してはいけない | 娘と息子と妄想パッチワーク

人は時に、合理的に計算してはいけない

まず初めに



費用と便益を合理的に計算する人間には

人を愛することはできない。


「愛」は自己の利益と損失の合理性を超える

「非合理的な要素」を持っている。


人はその「愛」のためにその行為を選択する。



例えば、

A子が仕事を4時間することでで得られる給料は20,000円。

今日は仕事に行く日だったとする。

ところが、

A子の彼、B男が今日は仕事がお休みであることを知る。


その途端、

「今日は仕事を休んで彼と一緒にいたい」と仕事を休んでしまう。


一般的に見れば


「たった4時間仕事に出るだけで20,000円手に入るのに

何故それを捨ててまでその行動をとるの?」


と馬鹿にする人もいるだろう。



ここでよく考えて欲しい。


利益(4時間仕事に行くことで得る20,000円)損失(4時間彼と一緒にいること)


なのだ。

なんとも非合理的である。



確かに、

目の前の利益を差し置いて明らかな損失に手を伸ばすことは非合理的だ。



そこでだ。

逆に、合理的に考えて行動するカップルを考えてみて欲しい。

何ともおもしろくない関係である。


むしろ付き合う価値すら疑ってしまう。



人間というのは、人と人の間に

愛のある交流が無ければ ただの動物としてのヒト だ。

自分の欲望のにに徹し、自己利益を追求する。

これでは成長する楽しみが無い。


かといって、この社会に組み込まれ、

自由を奪われていることに多少の不平不満は伴っている。


またここで良く考えて欲しいのだが

人は一人ですることには限界がある。

何かしら人と関わっていかなければ一人では限度があるのだ。


一人で行動する

人と共に行動する

それぞれその価値の重みをつけるのは

個人の自由なのだが


合理的に、物事を進めようとする人は

「損失」を決して「良いもの」と定義はしないだろう。


(あくまでも私の意見でしかないけれど…)



「損失」を「良いもの」とする考えは

「美化」以外の何者でもない。


しかし、その「美化」こそが

結果としてその将来の価値を高めているのだ。


きっとこの考えに嫌悪する人もいるだろうが……




「美化」することによって生まれる価値は

「愛」という成長の種そのものなのだ。


以上、

私的な偏りーな意見でした。