東京に帰ったばかりの現ザ・クロマニヨンズの真島昌利が奥井理の絵と文に触れて贈ったメッセージ
ワクワクもドキドキもウキウキも
グダグダもメソメソもシクシクも
イライラもグシュグシュもザワザワも
感じとる物事のすべては
生命の余興なのだ
真島昌利
〔「地球人生はすばらしい」奥井理 〔求龍堂)から)
奥井 理に出会える場所
OKUI MIGAKUギャラリー(札幌市)から
発信します。
理の絵と言葉を集めた画文集「地球人生はすばらしい」 〔求龍堂) (1890円)
遺稿集[19歳の叫び」(北海道新聞社)(1680円)を読んで頂ければ嬉しいです。奥井 理の世界が広がります。
OKUI MIGAKUギャラリーのHP もご覧下さい。
「地球人生のはすばらしい」〔求龍堂〕のお求めはOKUI MIGAKUギャラリー(011-521-3540)、求龍堂へ
「19歳の叫びは」OKUI MIGAKUギャラリーへ北海道教育大学の入学式で奥井理の絵と詩が紹介されます!
北海道教育大から突然電話がかかってきました。
入学式に理の詩と絵を使ってもいいかというものでした。
OKUI MIGAKUギャラリーコンサートのコーディネーターの阿部博光先生は教育大岩見沢港の教授であり、たくさんの教育大生、卒業生がギャラリーで演奏してくれています。
これから大学で学ぶ若者に理の詩が紹介されるなんて、夢にも思わなかった出来事に胸が熱くなりました。
理の言葉が入学生の心に響いてくれることを願います。
地球人生は素晴らしい
地球という惑星に生まれた星人、それが人間。
受精から考えて18年前
僕は、夜空に広がる宇宙も
この地球も
人間のことすらも知りはしなかった。
何一つ知りはしなかった。
それが、何かの間違いで僕は地球星人として生まれた。
人間には歴史があった。
人間には社会があった。
宇宙から見ると極めて
奇妙な建物を
人間自ら作り出してきた。
地球人生は
本当に素晴らしい。
しかし、その素晴らしさも
勉強することで初めて気付く。
勉強のない地球人生は
サルやイヌと同じだ。
人間の素晴らしさを分かるためには
勉強するしかない。
勉強すればするほど
課題が出てくる。
限りない世界だ。
地球人生の素晴らしさを感じるためには
それを好きになるしか他はない。
それにしても
人間って面白い存在だと思う。
宇宙的に見ても
本当に面白いと思う。
生まれてきて
本当に良かった。
明けましておめでとうございます。久しぶりですがよろしくお願いします。
昨年は沖縄、アウシュビッツ、ベルリンを訪れ、多くのことを教えられ、考えさせられました。日本では安保法制が強行採決されました。そして私たちの家族に新しい命が加わりました。私たちは失った命、授かった命、精いっぱい頑張る命に生かされていることを強く感じた一年でした。この一年の経験からも新しい命の未来のために何をしなければならないかを考えさせられた一年でもありました。
キャンプシュアブの前で アウシュビッツ収容所
我が家に授かった命
1976年 理(1995没) 1980年 潤 1981年 迪(ふみ)
そして今年は2003年から北海道教育大の教授でフルーティストの阿部ご夫妻のコーディネートで始まった若い音楽家を応援するOKUI MIGAKU ギャラリーコンサートが100回を迎えます。阿部ご夫妻、演奏してくれた方々、支えて下さっている方々に心から感謝申し上げます。これからも平和を愛し、芸術を愛する活動にささやかではありますが力を
注いでいきたいと思います。
1月1日には理のお墓に例年通り彼の大好きだった母の手作りのおせちをお供えしてきました。今年は夫と二人のお正月だったので、品数は少なかったのですが。
理の甥 楓大の写真も添えて。
理も生きていればきっといいお父さんになっていたろうなーと思ってしまう母です。
東北、こけし、その工人を愛した理の祖父森田丈三がたどった道を尋ねて
奥井理の大好きだった祖父森田丈三は大阪から東北大学に入学し、鳴子で初めてこけしに出会い魅了され、学生時代からこけしの後塵を訪ね、コケシを求めていた。家族はこけしには興味なく、妻にも子供たちに真央コケシの話をすることがほとんどなかった。なくなってコケシだけでなく、東北の後塵たちを訪ねた写真が残されており、私たち家族は彼がどのような思いでこけしを収集していたのか、どのように工人たちとかかわっていたのかなどを城たくなり、高齢の母(丈三の妻)とともに彼が訪れた地をめぐることにした。今年h宮城県、秋田山形に次いで青森を訪れた。
黒石市にある津軽こけし館、毎年ここでは全国伝統こけし工人フェスティバル が10月に開かれ、東北各地から工人たちが集まる。工人たちに会うのが楽しみでそこに85歳まで一人で出かけていたよう。
私たちもここで父に出会うことができた。それは父が寄贈したこけしたち。
津軽こけしは後継者が少なく、今コケシを作っている工人の数はほんとうに少なくなっているようです。その中でも息子さん、お弟子さんが伝統を引き継いでいる阿保六知秀さんご夫妻にお会いすることができ、父のことも聞くことができました。「森田さんは倒れてもフェスティバルに来る」という話になっていたそう。
東北の人はみなさん親切で突然訪れた私たちを快くもてなしてくださいました。父はこんな東北に魅せられていたのだと思いました。
そして津軽の素朴なこけしを愛していたことが著作「こけし悠々」の中の
『津軽のこけしは素朴で、稚拙で、コケシの原点にふれるような情味があります。』という言葉からもわかるように思われます。
来年は最後の福島に行こうと恒例の母を励ましながら、大阪に戻りました。
奥井家のミツバチたち
イタリアン系ですが、日本で多く飼われているイタリアンと違って、黒い蜂で、寒冷地で買われている種類で、おとなしく、寒さに強いように思われます。札幌での越冬には我が家でも成功しています。
一匹の女王蜂と10匹の働き蜂が王かごに入れられてきます。青いマーカーのついた女王蜂です。
このケースをイタリアンの巣箱から働き蜂のついた3枚の巣板を新しい巣箱に移し、その間にケースを入れました。働き蜂は遺物と認識し、ケースに群がります。
3日後ケースのあまり群がっていないことを確認してケースの入り口を開けます。入口通路にはエサ(砂糖)があり、中外からエサを食べて貫通させます。ゆっくり時間をかけて女王蜂を外に出す仕掛けです。
数日後内検するとケースは空!いました!カーニオランの条蜂がイタリアンの働き蜂の中に。
巣の中の卵が見えますか?20日後はカーニオランの働き蜂が誕生します。