過去ヲ振リ返ル | 人生中盤から色々学ぶ(ブ)ログ

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IT、経済、英語、その他今必要だなと思う事を学びつつ、自分用の記録ついでにブログ化。
あん時やっときゃ良かった、をそろそろ終わりにしたい!

10歳くらいでパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)に出会いました。

 

 

 

時を同じくして、プログラムというものにも出会いました。

 

パソコンも持ってないのにベーマガの購読者でした。

 

 

 

15歳で高専情報科を受けました。自分の中学からは私一人だけ不合格でした。

 

一旦プログラムから距離をおきました。

 

 

 

 

25歳まではフリーターで遊んでました。

 

 

 

再びコンピュータに触れ始めたのはWin95の頃でした。

 

最初は「FDDも入れずにPCが起動して、起動するってそこから何をするの?」が理解できませんでした。

 

それまでの知識でしっていた「コンピュータ」は、”今やりたい事の為”にプログラムの記録メディアから起動するものでした。

 

 

 

 

自宅のPCでいろんな事を試しました。

 

OS再インストール。モデム経由でのネットワーク接続。ディスクパーティショニング。エトセトラ。

 

全部遊びでした。

 

 

 

 

 

 

再びプログラマを目指したのは25歳。社員扱いされてたバイトをクビになってから。

 

クソみたいなプログラムコードを持って面接にも行きました。

 

落ちまくった挙句派遣の面接に行ってそこでもコキ下ろされました。

 

 

 

 

 

 

 

初めてIT分野の仕事に触れたのは、HTMLが手書きできる、という理由で採用されたテスター業務でした。

 

3か月でテストする人からテスト内容考える人になりました。

 

半年から一年の間に、テストする人を教育する人になりました。

 

二年経つまでに、テストに関わる人達を纏める立場になりました。

 

 

 

 

このままテストだけしていては、自分の将来はマズイと思うようになりました。

 

 

 

 

せっかく憧れのIT業界で仕事を見つけたけど、27歳で仕事を辞めました。

 


 

 

 

プログラマをやらせてくれる職場を改めて探しました。

 

2年の実績で後押ししてくれる人が出来たお陰で、業務経験なくやらせて貰える仕事が見つかりました。

 

DB移行のプロジェクトでした。

 

 

 

 

 

 

 

クソみたいなリーダーの元で胃液を吐きながら眩暈を堪えて仕事をしました。

 

半年ぐらいのプロジェクトが終わり、移行後の運用メンバーとして契約継続となりました。

 

半年後に立ち上がった新プロジェクトで開発リーダーに指名されました。

 

人の使い方も、案件の回し方も分からず、グダグダな状態にしてしまいました。

 

開発メンバーの中には、初めて胃液を吐かせてくれたリーダーも居ました。

 

(彼への復讐はこの時存分に済ませました)

 

 

 

 

 

最終的に、理由が本当か分かりませんが先方からの契約終了申し入れでその仕事は終わりました。

 

 

 

 

 

そこから派遣社員としてある会社へ所属するものの、持病の腰痛からプチリタイアへ。この時29歳。

 

 

 

 

1年程あけて、再度派遣社員としてシステム移行プロジェクトへ。

 

某大手電話会社の子会社の子会社へ。

 

ここでAM7時出社AM2時退社の生活を半年ほど続けました

 

無事にプロジェクトを終えたものの、心境的には自殺寸前でした。

 

もうこんな思いでしか生きられないなら人生終わりでいいと思ってました。

 

 

 

 

 

 

 

すこし休養期間を挟み、新聞社のWebシステム移行のお手伝い。

 

受け入れ先のプロパーが表立って動いてくれる事もあり、特段の問題もなく業務は完了しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでが、私の前半生になります。

 

最後の案件がキッカケで、天下の某H社とのお付き合いが始まりました。

 

 

 

 

それから約20年、個人での受注業務も挟んでますが、基本的にはH社から直接の案件引き合いを頂いて仕事をしています。

 

 

 

 

ここまでを振り返ると、自分にとってプラスだったと思う事は

・コンピュータが好きだった

・ものを作るのが好きだった

事かなと思います。

 

 

 

好きじゃないと出来ない事耐えられない事もいっぱいありました。

社員給料換算で20万切るような生活もしてきました。

 

 

 

それでも、好きだったから「今の問題をなんとかする」っていう方向に目が向けられたのかな?と思います。