震災直後、ボランティアとして駆け付ける人達が団体、個人、たくさんいた。
私、会社とかの時間的縛りがない。
行けるじゃん、と思った。
がむしゃらに行ったりモノを送り付けて迷惑になってるという状態を見ながら
現場と東京が繋げられボランティアが組織化されて、労働力として参加できるようになるのを待った。
そして、サイトやツイートを見て、信用できると感じた団体に応募した。
その団体からは最初の「受け付けました」以降、連絡が来なくなった。
他に応募しようとしたところは、男性のみ募集していた。
そうしているうちに友達に「あんたは行かないほうがいい」と言われた。
たしかに私は使えないかも知れない。
気はきかないし非力で車の運転もできないし、余計なことを言って誰かを傷つける。
行かないほうがいいのかも。
ちょっとずつ募金したり、現地に行く男性たちに物を預けたりしていた。
でも、2ヶ月たって、人手は足りてるという団体がある一方で、
ただただ人の力で少しずつの作業をして、果てがないと思える中でいまだに遺体が発見され続けているという場所がある。
重機が足りてるわけでもなく、
女性を連れていくくらいならそのスペースでもう1人男性を連れていけばいいという余裕もなく、
ただ、1人の力仕事を求められている場所が実際にある。
安全靴、スコップ、交通費、
あまり役に立たない私が行くくらいならそのお金を募金にとも思ってきたけど、
買う。
そして1人分の手伝いに行く。
私、
気になるならやれよ。
って自分に言い続けて生きてきた。
そうやって選んできたいろんなことに後悔はない。
でも、そうやって人を傷つけたことはあるから、それは強く気をつける。
今後の長いはずの人生、
今被災地で生きている誰かと関わることはきっとある。
その時、
今、現地をこの目で見たか見なかったか、
現場の臭いを嗅いだか嗅がなかったかが、
その人と向き合うときの自分に大きく関わってくるような気がする。
その時の自分のためにも行く。