誰かの発言、表現というものは、
何かのきっかけや刺激で、表現という形で外に出てくるもの。
状況がどうであれ、「まさか、あの人が」というようなことが起きたとき、
それは、「そのように思うその人の感性」というものは、その出来事が
起こる以前から、もともと内にあったものが現れたに過ぎない。
そして、その表現も、あくまでその人の表現であって、そういう表現を
せざるを得ない、何かしらの背景のようなものが、彼/彼女にはあった、
ということなのです。そこにはひとつの哀しみが見えることでしょう。
そのような振る舞いや表現をせざるを得ない、その彼や彼女の苦しみは、
その人の立場に立てば、理解できる部分もあるかもしれない。
理解と共感は、別のものであって、
あの人の背景を考えると、理解できるけれど、自分の考えからすると共感できない。
ということは、実は日々の中でよく起こっているのです。
ひとりの人の表現の中に、その人の内なる思いがすべて現れてくる。
その人が自分について、どのように思っているのか?
その人が他人について、どのように思っているのか?
その人が世界をどのように見ているのか?
そして、その人は自らの思う世界を体験し、自分の思う自分を創り上げている。
(2018.11.26.)