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石をどうとらえているのか?人に、よっては様々でしょうね。
物としてだけで見ている方にとっては鉱物という物質なのかもしれません。
私から見ると人とは違う意識を放っているエネルギー体です。 体験した私にとってはそれが真実なんです。
鉱物霊が宿っていますし同じ石でも、どの鉱山から来たのか、どのクリスタルの結晶の分魂かによっても放ってる意識が違います。 石の言語がわかる人にはわかるし、感じる人は感じ、体験する人は体験する。
人間は何かと傲慢なところがあるから、わからないうちや、疑いから入ると体験する事が難しくなるし、自分達だけが意識があると思いがちで。
石には人間みたいに心はないけれど、意識はちゃんとあるし、人間みたいに感情にも左右されないからいつでも一定の周波数を保ち放ってくれる。
(一部、妻の記事より抜粋)
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コメント欄に、こういった質問があった。
> 石には人間みたいな心はないけれど、意識はある
>
> との事ですが、心と意識はどのように違うのですか?
> どう解釈すれば良いのか良く解らなくて…
> 差支えなければご回答頂けますと嬉しく思います。
僕は、「これは“質問”じゃないよ。」と、答えたのですが・・・・。
なぜ、「質問じゃない」か、わかります?
どのような記事もそうだけど、主訴(主として伝えたいこと、主なメッセージ、主題)があるわけで、妻はこの記事で、
「石たちは人間と同じようなこころ(感情的活動)を
持ってはいないけれど、何らかの“活動”をしている。」
という意味で『石たちには“意識”がある。』ということを 発信しているわけです。
文字を“字面”で捉えてしまうと、「概念の遊び」に陥ってしまい、
その文章なり記事なりを書いている人の
「伝えようとしていること」
を見失ってしまうことがある。
ありがちなのは『○○とは』という、
「言葉について、あるいは言葉の定義について論じる」という方向へ、
主題がずれていってしまうケース。
スピリチュアルなことがらに関わっていると、
どこかで「右脳至上主義」のようになっている人にも出会う。
論理的思考、左脳的分析力ももちろん大切で、
左脳的、三次元的な思考だけに偏っても、
右脳的、直感的、インスピレーション的な思考だけに偏っても、
良い結果にはならない。
僕自身、本当に実感として感じているけれど、『バランス』なのだ。
“車輪の両輪”といってもいい。
右のタイヤだけ回しても、前には進まず、
その場でぐるぐる回るだけだ。
これは左も同じ。
両輪が“同じように”回ってこそ、真っ直ぐに、目指す方向へと進めるわけだから。
で、なぜ、このコメントが「質問の体をなしていない」のか・・・・。
それは次の日記で答えたいと思います。
(もし、考えてみよう。という方はコメントを下さると幸いです。
面白いかも知れないと思うので。)
追伸:Self Revolution ― 自分を変えていきたい!という人へ向けたテーマでの記事を、これから書き綴りながら、僕自身が取り組んできた『心の取り組み』をまとめ、形にしていこうと思います。
・自分のことを知りたい
・自信が持てるようになりたい
・自分を好きになりたい
・今の自分を変えていきたい etc.・・・
こころというか、自分が「自分」であると意識している部分と、なかなか“意識”できずに、自分では気づかないところで自動的に動いてしまう部分・・・潜在意識・・・のことを、知っていく、学んでいく、体験を積み上げていくことで、より自分について分かるようになってくる、と僕は感じています。
そして、自分についてわかるようになればなるほど、同時に“周り“についても分かるようになっていく。
不定期ですが、書いていきますので、よろしければお付き合いくださいませ。
(~ Primaria☆Stone ~ 名倉正祥 )