今日、といってももう日付は変わったので、正確に言うと昨日になりますが。。。
ひとりさん会に参加してきました。
さいとうひとりさん、僕もいくつか気に入って「まるかん」の商品を使わせていただいていますが、最初はやはり、ひとりさんの「教え」というか、お話や本がすごいな。と思っていた人です。
さいとうひとりさんは、納税日本一、ということも凄いのですが、ひとりさんは“神様からの教え”を実際的に、具体的に、無償で伝えている人なんですね。そして、僕がとても共感するのは、
『目に見えること、そして、目には見えないことの両方』
を、大切に伝えている方ということです。
既にこの世を去った、尊敬する人、はたくさんいますが、今現在生きていて、実践して、その姿勢を見せて下さる数少ない人の一人だと思っているのです。
実際に、自分が「まるかん」の商品を気に入って使うようになるとは思っていませんでしたが、何冊かひとりさんの著書を買って、繰り返し読んでいたりしています。
「いいもの」って、たくさんあるんですよね。
最近、気に入って紹介させていただいている「塩」もそうですし、JWT(ハーブのお茶)もそう。
もちろん、ひとりさんの商品も。
で、「いいもの」って、やっぱり、続けて使う、というか“関わり続ける”ということをしないと、本当の良さって、わからないと思う。
そして、自分の中の「邪魔をする考え」を外していく、ということをやっていかないと、「いいもの」の良さを実感することは、できないんじゃないかな?ってね。
例えばね、“疑う気持ち”とか、“経済的な不安“とかね。
「いいもの」って、やっぱり、それを世に出した人の“本気の思い、エネルギー”が込められているから、お値段の方も“それ相応”にするもんなんです。
“その商品の良さ“を、自分が「わかろう」として、続けること。
自分からつかみ取りにいこう、という気持ちがあるのと、そうでないのとでは『体感』や『実感』の仕方も変わってくると思う。
例えばね、納豆が体にいい。と聞いて、
『今日はもう、納豆10パック食べたから、これでいいでしょう。』
って、食べ方しないじゃない。
毎日、1パックは食べる、というような“継続した“食べ方をするよね。
いろいろないいものがある。もちろん、食べ物だけじゃなくてね。
「ためになる教え」とか、そういったものもね。
そう、「心の栄養」ってもののことなんだけど。そういうものも、日々触れ続けていくことって、食べ物以上に大事なんじゃないかな?
自分の心や魂に、「良い栄養」を与え続けることって、例えば、一人さんのところの商品だったり、あの「お塩」だったり、ジェイソンさんのお茶(JWT)だったりって言う、「良い商品」に、
“自分が繋がり続けられるようになる”
そのために必要なことなんだと、本当に実感しています。
「いいもの」だから。
と言って、あれもこれも、と手を出す人もいるけれど、 その商品や情報や、あるいは人の“本当の良さ”に自分が同調出来るだけの「波動」や「振動数」まで、“自分を引き上げよう“として、努力しているか?ってことが、問われていることに気付いていないんじゃないだろうか?って思う。
自分にとって「決定的に」よいもの、と確信できる何かを得た人って、“その次に訪れる、いいもの”を見逃したりはしない。
僕はそう感じる。
あれやこれや手を出して、結局、何が自分にとって最高だったのか?
それがわからず、最後にハズレを引いてしまった。
そんな人も少なからず目にした。
「いいもの」に出会えるってことは、“自分がそのモノに選ばれた”って考えることもできる。
そのモノの波動に自分が到達していなければ、その「モノ」の方に断られてしまうものだ。
だから、自分を見つめて、浄化する。
浄化って、“洗濯する”のと同じだから。
汚れたら、きれいにする。
シャツだって、着てりゃ汚れる。
だって、汚れないってことは、使ってない、ってことだから。
生きていたら、汚れるのは仕方ない。
世の中って、どっちかというと“すすだらけ”のようなものだから。
『うわぁ!こんなに真っ黒になっちゃった。
これって、何?何がついて汚れたの?
どこで、汚れたんだろう?
誰に付けられたんだろう?
なんで汚れたんだろう?』
って、大騒ぎするよりも、さっさと洗えばいいんだよね。
習字みたいなもんでさ。
上手くなれば、手に付く墨だって少なくなるじゃない。
上手になれば、心の汚れだって、あまり付かないようになるから。
「いいもの」に出会える、そんな自分でいられますように。