直感を信じる、ということ。 | 過去生ツインソウル・メソッド®︎&ツインソウル・ヒーリング®︎ Primaria☆Stone

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“魂のメッセージ”を読み解く過去生ツインソウル・メソッド®︎、“魂の絆”を深めていくツインソウル・ヒーリング®︎のナグ&プリマリア【Primaria☆Stone】

スピリチュアルな理解を深めるために -8-

 昨日は、『番外』ということで、スピリチュアルな探求をする中で起こり得る“脇道に逸れていってしまう 危険性”ということをお話させていただきました。昨日の記事の中にも、掘り下げていくとさらなる洞察につながるエッセンスがいろいろとあったと感じているのですが、今日は、前に書いた1~7の話があった上で話せるお話を書いていきたいと思います。

 もちろん、一つ一つの話でもなにか得るところがある、新しい理解につながるように構成していこうと努力しているのですが、“積み上げていく”ことで、より深まる理解というものは、どのような学びに置いてもあります。V.A.K.の話をしたうえで、「自明の正しさ」という概念にまでたどり着いたところで、この『直感』という話をすると、また違った視点が見つかることと思います。

 さて、スピリチュアルな話の中でこれもよく言われることなのですが、

『あなたの直感を信じてください。』

ということがあります。直感、別の表現だとインスピレーションやひらめき、といった表現もされますね。で、この“inspiration”という言葉の意味は・・・

in ~の中で、という意味と、spirit 霊 という言葉が合わさったもの、つまり、霊的な息吹が吹きこまれた中で。という意味なのです。

ここで、「内なる声」の話につながっていくのですが、

( 内側の声に耳を澄ます~“A(Auditory)”に関する考察の後半 記事参照)
http://ameblo.jp/m-nagura-mr/entry-11327268157.html

霊というものが、万物すべての生命に浸透している。のであれば、そのメッセージには普遍性がある。ということを書かせて頂きました。直感の話をするときに、これは少し考えないと誤解を生むな。と思うのが

『 “あなた” の直感を信じてください。』

という表現。確かにそうなんだけれど、自分自身の直感だけを信じ、周りの人たちや状況やものごとが示している“直感的なメッセージ”に耳を貸さないようになってしまうこともあり得るのです。

自分自身の直感を本当に大切にしようとするのであれば、相手の「直感」も尊重する必要があります。そうでなければ、単に「我を通す」だけの話で、それは霊的な息吹でも何でもなく、単なる暴れるエゴの叫びとなってしまいます。

『だって、私はそう感じるんだもんッ!』

と、周囲の声に耳を塞ぐようになってしまう。

抽象的で、精神世界的な見方、視点、立場から現実的な立場に降りてくると、それぞれが置かれた状況は異なるように見えるし、個々人の積み上げた経験から、同じような状況でも感じ方は違う。ということがわかります。

“その人の立場や置かれた状況や積み上げた経験や、そう言ったものを含めた、彼/彼女の霊的なキャッチ(インスピレーション:直感)では、そのような受け取り方になるのだな。”

ということを、尊重したうえで、『私はこれを自分の意志で選択しているのです。』と意志表明することは、前述の『だって、私はそう感じるんだもんッ!』というような態度とは精神的なあり方として大きな違いがあることは理解できると思います。



“どのような声も、聞こえる人のもとに届く”


もし、あなたが自分の幼い子供や、本当に大切な人を残して先立ってしまったとしたら・・・。
そして、その残された人たちに何か伝えなければならない、切実な思いを持っていたとしたら。

あなたのメッセージに反応できる、聞こえる人、聞いてもらえる人を必死に探し、
『あの人に伝えてほしい。』と、その思いやメッセージを託すことでしょう。

自分ではキャッチできない(自分のエゴが邪魔して)メッセージを、他の誰かが「直感」や「ひらめき」のような形や、“なんとなく、違うような気がするんだよなぁ”という違和感のようなものや、そういった受け取り方で、あなたのもとに届けてくれているかもしれない。という態度は、いわゆる『個人的な直感』を超えた意味で、重要なメッセージになっているのです。


つまり、『直感』を信じようとするなら。

『私だけの直感』ではなく、“直感そのもの”、あの人のもとに「降りてきた」直感も尊重する必要があるのです。

そして、自分自身が「霊的な直感」からのメッセージと「自我の断末魔の叫び」との区別がつくようになると、相手がもたらしてくれたメッセージが、“inspiration”なのか、「我を通そうとする声」なのか?がわかるようになってくるのです。


“自分”というものは本当に大事だけれど、“自分だけ”になってしまうと人は生きることはできない。


今日の記事の「直感」という文字を“自由”ということに置き換えても、わかると思います。

例えば、人の思いや気持ち、というのは変わります。変わる自由や変える自由を持っています。

“わたしの思いや考えが変わること、変えることは私の自由だけれど、
私の許可なしに、あなたの思いや考えを変えることは認めない。”

そんな心の姿勢になってしまってはいないでしょうか?

在りし日のあの人が、『今もあの時と同じ気持ちのままでいる』と思い込むことは、その人を見ているのではなく、“あの時ああだったその人”の記憶に、あなたがしがみついているだけのことで、もうその人は、あなたが思う場所にはいない。ということだってあるのです。

「わたしにとって大事なものであるなら、相手にとっても大事なものである。」

自分の時間が大事なら、人の時間を尊重する。
自分の理想が大事なら、人の理想を尊重する。
自分のお金が大事なら、人のお金に敬意を払う。
自分の自由が欲しいなら、人を自由にしてあげる。

自分を愛してほしいなら、そのように人を愛していく。


最初はどれも小さな種。

$本当はスピリチュアル~ツインソウル夫婦の散文~

それは、いつか霊の息吹を受けて、大きく花を咲かせ、やがて実を結ぶことでしょう。

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