スピリチュアルな理解を深めるために -4-
~私たちは“しゃべること”に一生懸命である。~
“A(Auditory)”に関する考察(前半)
前回、“感覚の認識はどこで起こるか?”というタイトルで、特に視覚(V)に焦点を絞って、話を展開させて頂きました。
☆感覚の認識は「心の中」で起こっている
☆視覚が物理的世界にとても密接であるため、
「外の真実」のように、私たちは感じてしまう。
☆心の中の「印象」の蓄積、あるいは印象を表現する言葉や
それに準ずる“体験”が豊富であるほど
見えないとされるものを感じた時に「視覚的印象」を
心の中に呼び起こしやすくなる。
☆実際的(物理的)な感覚的経験に意識を払うことなく、
心の印象が育つことは無い。
ということが、ポイントになるだろうと思います。
で、今日は、V,A,Kの3つの主要な感覚のうちの“A(Auditory)”について、書かせて頂きます。
聞く、ということ、“A”は聴覚のことを言いますが、スピリチュアルな理解を深めるために、という大テーマで話を進めていますので、ここでは「内なる声」とか「声なき声」という霊的な聴覚へのアプローチになっていきます。しかし、先の“V”と同様に、現実的(物理的)な『聞くと言うこと』についての話を展開させたうえで、スピリチュアルな感覚に通じる“聴覚”の話をしていきたいと思います。
「黙って人の話を聞く」
これがどれほど難しいか?“聞く”ということに本当に意識を向けて取り組んだ人はわかることでしょう。私たちは、ともすれば「自分のこと」を話そうと、目の前の人の“話の切れ間”を今か、今か、と待っているものです。
そして、「耳」というのは厄介なことに、いつもオープンになっているのです。目であれば、見たくないものに出会ったとき、目をそらしたり、目をつぶったり、ということができますが、耳はそうはいかないですよね。(ここで、耳をふさげばいいじゃん。と思ったあなたは素直じゃないです(笑))。
さらに、潜在意識にはほぼノーガードで、その情報が飛び込んできます。誰かの悪口や罵声のような声、誹謗中傷は気付かないうちに、心の中へ忍び込んでいるのです。
自分が話す言葉も「他人」が話す言葉のように、あなたの潜在意識は聞いています。しかしながら、わたしたちの“意識”は、意外に自分が話したことすら、覚えていません。
“わたしはこうです。”ということへの承認と称賛を求めるあまりに、自分の主張ばかりになってしまいがちなところがあります。
人と会い、話す時に「聞き役」に徹してみる。
いちど、これに挑戦してみると、どれだけ自分が「しゃべりたい」か?がわかるでしょう。
相手の話を遮ろうとした自分に気付いた時、
「いや、いいよ。話を続けて。」
こう言って、相手に話を戻してあげてください。そして、自分が話す番になった時、
「なるほどね。~で、~だったんだね。」
と、一度相手の話を“引き受けて”から、自分のことを話すように心掛けてみてください。これだけで、コミュニケーションが飛躍的に変わってくることを感じて頂けると思います。
次回は、実際のコミュニケーションから、「内的世界」や「声なき声」へのアプローチを書いてみたいと思います。