『無名』日本での公開は無いと思ってましたので、公開が決まった時はそりゃ~もう嬉しかったです!でも、全国公開と聞いた時は正直心配しましたね。だけど!蓋を開けてみれば大好評!私も「8回」も観る事になるとは自分でも笑えます
作品自体が興味深かった事もありますが、やはりイボが出ていなければここまで観る事は無かったでしょう。推しの力は偉大です
この『無名』…
こんなにも時間軸が前後する構成だとは考えてもいなかったので、中国で公開された時に「難しい」とか「分かりにくい」と言われた事に納得しました。ただ、後半で上手く疑問が解消されていくので「パズルをはめ込んでいくようにストーリーを回収していく」ある種の爽快感があります。
しかしその一方でそのパズルのパーツが何故そこにハマるのか?みたいな疑問が湧く…でもそこまで掘り下げた答えはこの映画の中には存在しない。
だからこそ監督の言葉に大きな意味があるのでしょう。
「観衆を尊重し観衆を侮ってはいけない」
委ねられている。それぞれの見方でいいってね。
映画の新たな楽しみ方って感じです
日本人の私にとって、気になっていたのはやはり日本人の描写。
でも想像していたよりず~と穏やかな描き方で、残虐一辺倒では無い事にチェン・アル監督の作品造りに対する真摯さを感じました。
それどころか、ともすれば聞き流してしまいそうなセリフの一言に、人としての日本人らしさを入れてあるかのようにも感じます。
広州の爆撃に向かう戦闘機に同乗する日本兵は「どんなに綺麗な景色でもこう毎日同じだと飽きてしまいます」と居眠りをするが、ルーズベルトとなずけた柴犬を連れた戦闘機のパイロットは、「俺はそんな事考えた事も無い」という。
そこにはパイロットの誇りと愛犬に寄せる愛が感じ取れる。弟とおぼしき兵隊も「誇り高きパイロットと兄は言っていた…」と話してましたね。
一兵卒として小隊に紛れ込んでいた大山公爵は「ここを去っても君たちの事は忘れない」と、人間味あふれる台詞を言っている。
そしてこの映画の中の渡部という人物は一貫して日本政府のやり方を非難している。武力を持って中国を制圧してきた東条の考えより穏健派の石原が好きだと言い、自分は諜報部には合わないと言い、終始戦争を長引かせる事に嫌悪感を表している。
渡部が見せる残虐さは殆どない。それどころか江小姐を助けろとまで言わせている。
イエに向けられる渡部の表情もまた穏やかで優しい。
日本人、渡部の愚かさを描きたかっただけなのかもしれないが、どの場面も中国の映画とは思えない描写だった。
「これを観た中国の人達は嫌な気持ちにならなかったのか?」
ふと、そんな事を思ったほどです。
そしてこの映画に登場する日本人を観ていると何故か懐かしい気持ちになりました。
第二次世界大戦を題材とした日本映画に出て来る、日本兵やお偉いさんって昔はこんな感じの演技だったな~と(笑)
監督は昔の日本の映画を観て演出したのかと思うくらいです(笑)
しかし…この小隊の残虐非道な場面は、私の中でまだ解決してません。
それは何故あんな残酷な結末を導き出したかです。
このシーンだけ日本兵の残虐さを描きたかったのか?
死体の入った井戸の水を飲まされた事に腹を立てただけではない…とは想像できますが…
この「井戸」繋がりなのはイエとワンが朝食を食べながら話す「吉川という人物が宝石店を襲いその家族を井戸に投げ捨てた話」ですが、この吉川とは誰なのか?その時期はいつなのか?ワンが言っていた吉川という人物が上陸した場所はあの採石場?と近いのか?土地勘がないので全く分かりません。
でもこのふたつが=ならば…小隊の隊長はその吉川の非道を知っていて、恐らく上官であろうその吉川の行いを隠すために「この井戸」の存在を知っている彼らを皆殺しにしたのかもしれない。だとしたら、当時の日本軍人の序列の怖さを的確に捉えた行動だと…推測は出来る。
ただ…この人が「吉川」だったかも?服に名前が書いてあったんですがもう確認出来ない!
謎は残ったままです…
『無名』のレビューの中に「この内容の映画を日本で公開するのってどうなんですか?」みたいなものが結構ありました。でもこういう娯楽作品こそ、気軽に観れて日本の歴史を振り返る良い機会になるんじゃないかと思ったりします。
私個人も、穏健派の渡部を観ていて久しぶりに私の中のある考えを思い出しました。
これを言うと賛否両論ありますが…
人には理想の国家の形がある。
当初、「大東亜戦争」と言われたこの戦争の大義が、「大東亜共栄圏」という「アジアの国々のヨーロッパ植民地からの解放」であった事は事実です。その本質は「日本による再植民地化政策」だったかもしれないが、本当にそのような理想を持っていた人もいたはずだと。
侵略戦争と言われましたが、日本統治時代に現代的な生活を知り文化を取り戻し、独立心を温め、結果的にアジアはヨーロッパの植民地から解放された事は嘘ではありません。大日本帝国の人間としてその理想を掲げ、各国へ従事していた日本人はたくさんいたと私は思います。
しかし当時の中国は貧しいアジアの他の国々とは根本的に違います。
そもそも大国であった中国には多くの優れた文化や知識人が存在しました。しかし最後の王朝、清朝を維持出来なかった事からこの国の衰退は始まったのでしょう。
確かに、アヘン戦争や日清戦争などの戦争が引き金になった事は間違いありませんが、一番の要因は自国内で個々の理想の国家を樹立すべく、国民同士が争った結果だと思います。
互いに相手の思想の違いを受け入れられず、相容れぬ者たちを排除し粛清する。
そこには…
「思想に傾倒し信念に突き動かされ理想を追い求め続ける人の心の残虐さ」がある。
その「闇」は日本軍が去り、共産党が勝利するまで続く訳ですから…そういう事なんです。
チェン・アル監督が何故この時代の上海を好んで描くのか?
たぶん…この「闇」だけではないものが当時の上海にはあったのだと思います。
世界中から様々な人種、文化、思想、理想そして富が集まり、ある種の稀に見る華やかさがこの残虐さのすぐ隣にあったのがこの時代の上海なのかなと…
一見、華やかに見えて、実は渦巻く陰謀、策略、ルールも秩序も無いハードボイルドな世界。なのに手放せない貪欲な「愛」…
それは魅力的だと思います。
そんな「光」も「闇」も全て『美しく』撮りたい。
それが監督の美学なのかな?と思った次第です。
※これが日中逆転の日本映画だったら?※
最後に渡部(敵)は殺さないかもしれない…