寒さが本格化してから、カリカリと一緒に、
ウエットもお供えを始め、
溜まった空きのウエット缶を、
久しぶりに回収ゴミに出しました。
次女さんが、このウエット缶全てを、
食べきってくれますように…
その願いが叶わなかった、
残された缶になります。
朝、お供えに出す量は、
姉妹さん晩年の1回分の量と同じ、
お供えするウエットの量は、
無意識に、同じ量で始めていました。
缶が空くペースは、当たり前ですが、
姉妹さん達の頃と同じです。
それなのに、
缶の空く時間の感覚が、
長女さんが居ない…
次女さんが居ない…
それがあるからか、
物凄く長く感じています。
人間の感じる
時間の感覚というのは、
その時の気持ちの持ち方に左右されるのだな、
そんなことを感じつつ、
お供えを続けています。
お供えしても、つまみ食いする次女さんは居ない…
つまみ食い、して欲しかった、
それよりも、購入したウエット缶を、
全て食べ切って欲しかった、
叶わぬ願いです。
そんな思いを抱きつつ購入していた頃の自分と、同じ思いのかたがおられる、
それを知り、
少しだけ悲しく感じつつ、
そのかたの同居人の動物さんが、
どうか食べ切ってくれますように…
そんなことを願いつつ、起床します。